檀ふみの家族とは?父親は大作家!?母親はどんな人?兄弟姉妹はいるの?

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檀ふみ(だんふみ)さんといえば、未だに「かわいらしい」「おしとやか」といった形容詞が似合う大物女優さんですよね。

また、エッセイストとしてもその才能を発揮し活躍を続けている檀ふみさんですが、そのご家族をご存知でしょうか。

そこで、この記事では檀ふみさんの家族について、父親は大作家というのは本当か、母親はどんな人か、兄弟姉妹はいるのかをご紹介することによって明らかにします

1.檀ふみの父親は大作家!?母親はどんな人?

檀ふみさんの実家は現在、東京都練馬区の石神井公園の近くにあります。

檀ふみさんの実家の家族の中で、最も有名なのは父親・檀一雄(だんかずお)さんではないでしょうか。

というのは、檀ふみさんの父親・檀一雄さんは、直木賞を受賞した『真説石川五右衛門』『長恨歌』など数々の名著を残しているからです。

ここでは、檀ふみさんの父親である檀一雄さんと父親・檀一雄さんを支えた2人の母親について、ご紹介します

(1)檀ふみの父親は大作家・檀一雄

もともと檀ふみさんの家系は現在の福岡県柳川市出身でしたが、檀ふみさんの父親・檀一雄さんは、父親の仕事(図画教員)の関係で、1912年(大正元年)に山梨県で生まれています。

高校時代から小説を書き始め、同人誌の製作に携わったり、小説や詩などの作品を発表していた檀一雄さんは、1932年(昭和7年)、東京帝国大学経済学部(現在の東京大学)に進学します。

1936年(昭和11年)には『夕張胡亭塾景観』が第2回芥川賞候補になるなど頭角を現しはじめた檀一雄さんは、日中戦争により軍に招集され大陸にも出征しましたが、帰国後の1942年(昭和17年)福岡の開業医の娘である高橋律子さんと結婚しました。

翌1943年(昭和18年)には長男・太郞さんが生まれましたが、1946年(昭和21年)妻・律子さんは腸結核により亡くなってしまいます。

しかし、同年檀一雄さんは福岡の酒造家の娘・山田ヨソ子さんと再婚し、このヨソ子さんが檀ふみさんの母親になります。

山田ヨソ子さんと再婚後、上京した檀一雄さんは東京都練馬区の石神井公園の近くに住み始めます。

その後、1951年(昭和26年)に『真説石川五右衛門』『長恨歌』の2作品で直木賞受賞を果たした檀一雄さんに、1954年(昭和29年)長女・ふみさんが生まれます

檀ふみさんの父親・檀一雄さんは、「無頼派」と呼ばれる既成の近代文学に批判的な作風を持った作家の1人として知られ、「最後の無頼派」と言われています。

檀一雄さんは、多くの賞を受賞し、数多くの名作を残していますが、太宰治(だざいおさむ)や坂口安吾(さかぐちあんご)など高名な作家と交流を持っていたことから、一目置かれた存在であったのではないでしょうか。

また、檀一雄さんは、連作『リツ子・その愛』『リツ子・その死』(1950年)や『火宅の人』(1961~75年)といった亡き妻(律子さん)や愛人について描いた小説を発表している点も特徴的です。

『火宅の人』は、1976年(檀一雄さんの死後)に第8回日本文学大賞及び第27回読売文学賞小説賞を受賞しており、1986年にこの作品が映画化された際には、娘・檀ふみさんが主人公・桂一雄(檀一雄がモデル)の母親役を演じています。

そんな檀ふみさんの父親・檀一雄さんは、1975年、肺ガンを患い、翌1976年1月に63歳の若さで亡くなっています

(2)檀ふみの母親はどんな人?父親・檀一雄には2人の妻がいた!?

檀ふみさんの父親・檀一雄さんには2回の結婚歴があり、1人目の妻・律子さんとの間に長男・太郞さんを儲けましたが、結婚後わずか3年で死別しています。

檀ふみさんの母親は、檀一雄さんが前妻の律子さんと死別した1946年(昭和21年)に再婚したヨソ子さんになります。

ヨソ子さんは夫・檀一雄さんが亡くなるまでの30年間、夫に寄り添いましたが、夫が愛人について描いた『火宅の人』を発表したことで、大変苦しんだのではないでしょうか。

檀ふみさんも、そういう母親の姿を見ていたので、心を痛めていたのかもしれません。

そんな檀ふみさんの母・檀ソノ子さんは、夫・檀一雄さんが亡くなってから39年後の2015年4月に腸閉塞のため、92歳で亡くなっています

2.檀ふみに兄弟姉妹はいるの?

檀ふみさんの父親・檀一雄さんと後妻・ヨソ子さんの間には、4人の子供が生まれています。

前妻・律子さんの子供である長男・檀太郞(だんたろう)さんを加えると、檀一雄さんの子供は5人いることになります。

5人兄弟の内訳は、

  • 長男檀太郞さん、前妻・律子さんの子供)
  • 次男(後妻・ヨソ子さんの子供、以下同じ)
  • 三男
  • 長女檀ふみさん
  • 次女

となり、檀ふみさんは5人兄弟の4番目の子供で長女になります。

5人兄弟の中で、著名なのは長男・檀太郞さんと長女・檀ふみさんの2人ですが、あとの3人は一般人です。

しかし、次男・檀次郎さんは、5歳のときに日本脳炎にかかっており、わずか14歳で亡くなっています。

長男・檀太郞さんは、エッセイスト、CMディレクターとして活躍しています。

エッセイストとしては、文壇を代表する料理人として知られ、友人や編集者を自宅に招いて、料理を振る舞っていたという父親・檀一雄さんの遺志を継いで、『檀流ワイルドクッキング』(1983)などのエッセイの出版や講演活動をしています。

もともと檀太郞さんは、若い頃いくつかの挑戦をしており、俳優座養成所に入り俳優を志したり、南米を放浪したりしていました。

その後、大手広告代理店に入社して、CMディレクターになっています。

3.まとめ

この記事では、檀ふみさんの家族について、父親は大作家というのは本当か、母親はどんな人か、兄弟姉妹はいるのかをご紹介することによって明らかにしてきました

檀ふみさんの父親は、偉大な作家・檀一雄さんだったことを知らなかった人もいれば、檀ふみさんが二世芸能人だったことに驚いた人もいたのではないでしょうか。

更に、檀一雄さんには2人の妻がいましたが、前妻・律子さんが早世し後妻・ヨソ子さんと再婚したため、檀ふみさんが生まれました。

檀ふみさんは、5人兄弟の4番目の長女だということもわかりました。

また、次男・檀次郎さんが亡くなったとき、檀ふみさんは10歳くらいだったので、とてもつらい思いをしたのではないでしょうか。

檀ふみさんの今後益々のご活躍を期待しています。

檀ふみの年齢・身長・学歴(出身高校・大学)等経歴、自宅は豪邸って本当!?

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檀ふみ(だんふみ)さんといえば、数々のドラマや映画に出演し活躍してきた名女優として知られています。

最近では、NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』でナレーションを務めたほか、TBS系ドラマ『陸王』『初めて恋をした日に読む話』に出演し、安定した演技を披露しています。

更に2019年5月10日から公開される、水谷豊(みずたにゆたか)さんが監督を務めた映画『轢き逃げ 最高の最悪な日』にも出演しています。

そこで、この記事では檀ふみさんがどんな人なのかを、年齢・身長・学歴(出身高校・大学)等経歴をご紹介するとともに、檀ふみさんの自宅が豪邸って本当なのかについてご説明することによって、明らかにします

1.檀ふみの年齢・身長・学歴(出身高校・大学)等プロフィール及び経歴

名前:檀ふみ(だんふみ)

本名:檀ふみ(だんふみ)

生年月日:1954年6月5日現在の年齢:64歳

出身地:東京都練馬区

身長:170cm

血液型:A型

星座:ふたご座

学歴

出身中学校:東京学芸大学附属大泉中学校(東京都練馬区)

出身高校:東京教育大学附属高校(現・筑波大学附属高校)

出身大学:慶應義塾大学経済学部

所属事務所:檀ふみ事務所

(1)檀ふみは名女優!!父親は偉大な作家だった

檀ふみさんの父親は直木賞作家として知られる檀一雄(だんかずお)さんで、檀ふみさんは檀一雄さんの長女として生まれています。

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檀ふみさんの芸能界デビューは、1972年に公開された高倉健(たかくらけん)さん主演の映画『昭和残侠伝 破れ傘』での映画デビューでした。

当時高校生だった檀ふみさん自身は映画デビューするつもりはなかったようですが、父・檀一雄さんと映画プロデューサーの策略により東映京都撮影所へ連れていかれ、主演の高倉健さんに会ったことが、映画デビューするきっかけとなりました。

要するに、当時の檀ふみさんが高倉健さんに惹かれてしまったため、映画デビューすることになったのです。

意外なことに、父・檀一雄さんは娘・檀ふみさんの芸能界デビューには賛成だったようですね。

その後、檀ふみさんは数多くのテレビドラマや映画に出演しており、『青春の蹉跌』(1974年)、『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』(第18作、1976年)、『火宅の人』(1986年)などに出演したほか、『男はつらいよ ぼくの伯父さん』(第42作、1989年)ではマドンナ役を演じています。

檀ふみさんは1993年公開の映画『わが愛の譜 滝廉太郎物語』では、第17回日本アカデミー賞助演女優賞を受賞しています。

また、映画『火宅の人』の原作は、檀ふみさんの父・檀一雄さんの長編小説であり、父の原作に娘・檀ふみさんが出演した形です。

(2)檀ふみの才能は父親譲りだった!?

檀ふみさんの才能は女優としてだけでなく、長きに渡ってお茶の間の人気を博したNHKのクイズ番組『連想ゲーム』の解答者としても発揮されました。

檀ふみさんは、映画デビューした翌年から15年間にも渡って名解答者として活躍しました。

更に檀ふみさんの大活躍の場として忘れてはならないのがエッセイストとしての顔です。

最も有名なのが、エッセイスト・小説家・女優など多くの肩書きを持つ阿川佐和子(あがわさわこ)さんとの共著『ああ言えばこう食う』です。

『ああ言えばこう食う』は1998年に出版されましたが、第15回講談社エッセイ賞を受賞しています。

檀ふみさんは阿川佐和子さんの1歳年下の大親友で、この2人には「父親が作家である」「父親が東京帝国大学の先輩・後輩である」という共通点があります。

檀ふみさんの著作には、『ほろよいかげん』(1985年)、『ありがとうございません』(1998年)、『まだふみもみず』(2000年)、『どうもいたしません』(2004年)、『父の縁側、私の書斎』(2004年)などがあります。

こうしたエッセイストとしての才能は、偉大な作家だった父・檀一雄さんの才能を受け継いでいるのではないでしょうか

2.檀ふみの自宅は豪邸だった!?

檀ふみさんは、東京都練馬区の石神井公園の近くにある実家に暮らしていたようです。

この自宅は、檀ふみさんの父・檀一雄さんが建てた家で、大作家にふさわしく豪邸だったそうです。

父・檀一雄さんは、高名な太宰治(だざいおさむ)、井伏鱒二(いぶせますじ)、中原中也(なかはらちゅうや)などとも交流があったと言いますから、本当に偉大な作家だったのです。

それほど偉大な作家である檀一雄さんであれば、その自宅が豪邸だったとしても納得してしまいます。

実は檀ふみさんは現在もなぜか独身なのですが、長年実家で暮らしていたそうです。

しかし、そんな住み慣れた自宅も区画整理に伴い、取り壊され立て直すことになりました。

自宅が取り壊された後も、近くのマンションで暮らすことになったという檀ふみさんですが、マンション暮らしは初体験だったそうです。

長年の実家暮らしだったお嬢様が、初めてマンションでひとり暮らしとなると不便なことが多そうな気がしますが、実際はどうだったのでしょうか?

3.まとめ

この記事では、檀ふみさんがどんな人なのかを、年齢・身長・学歴(出身高校・大学)等経歴をご紹介するとともに、檀ふみさんの自宅が豪邸って本当なのかについてご説明することによって、明らかにしてきました

檀ふみさんが名女優であることはよく知られていますが、檀ふみさんの父親が偉大な作家であることを知っている人は、意外と少ないかもしれません。

檀ふみさんはエッセイストとしても知られていますが、エッセイストとしての才能は遺伝によるものだったのですね。

そんな檀ふみさんが暮らしていた自宅は、父・檀一雄さんと暮らした豪邸でした。

その思い出の詰まった豪邸も区画整理により、取り壊されることになりました。

初めてのマンション暮らしを始めた檀ふみさんの暮らしぶりがどうだったのか、非常に気になるところです。

檀ふみさんの今後益々のご活躍を期待しています。