竹島宏はどんな人?身長・体重等経歴、出身中学校・高校・大学はどこ?結婚してる?彼女は?実家の家族・両親(父母)・兄弟は?【悲願のNHK紅白歌合戦2017へ初出場なるか!?】

出典:http://ishikawa-theater.net/

竹島宏(たけしまひろし)さんという演歌歌手をご存知でしょうか。

ここ数年、演歌界に異変が生じており、次々と若手実力派演歌歌手が台頭し始めています。

その代表格が、山内惠介(やまうちけいすけ)さんや三山ひろし(みやまひろし)さんであり、市川由紀乃(いちかわゆきの)さんです。

そんな中、「演歌界のイケメン」と呼ばれ、今年、NHK紅白歌合戦2017への初出場が期待されているのが、竹島宏さんなんです。

そこで、この記事では、竹島宏さんはどんな人なのかを、身長・体重等経歴、出身中学校・高校・大学はどこで、結婚してるのか、彼女はいるのか、実家の家族・両親(父母)はどんな人で、兄弟はいるのかについて、ご紹介することによって、明らかにしたいと思います。

1.竹島宏はどんな人?身長・体重等プロフィール及び経歴

名前:竹島宏(たけしまひろし)

本名:竹島宏(たけしまひろし)

生年月日:1978年8月28日(現在38歳)

出身地:福井県福井市

身長:172cm

体重:57kg

足のサイズ:25.5cm

血液型:A型

星座:おとめ座

好きな色:青、白

マイブーム:ホットヨガ、水へのこだわり、アナログレコード集め、手作りジュース

子供の頃、なりたかった職業:外科医

所属レコード会社:テイチクレコード

所属事務所:オフィスK

2.竹島宏の経歴①:演歌歌手になりたいと思ったきっかけは、坂本冬美だった!?

竹島宏さんは、福井県福井市で生まれていますが、子供時代は、当時大人気だった、ジャニーズの男性アイドルグループ「光GENJI(ひかるゲンジ)」が大好きだったそうです。

そんな竹島宏さんが、演歌歌手になりたいと思ったのは、小学5年生の時に、曾祖母(ひいおばあちゃん)に連れられて、地元・福井で行われた坂本冬美(さかもとふゆみ)さんのコンサートを観に行ったことがきっかけでした。

このコンサートで、坂本冬美さんが、力強く歌う姿を目の当たりにして、衝撃を受けた竹島宏さんは、演歌歌手を目指そうと思ったのです。

竹島宏さんが、演歌歌手になるために、具体的に行動を起こしたのは、高校3年生のときで、とりあえず上京するために、東京の大学を受験し、合格したのです。

3.竹島宏の経歴②:上京後、恩師に出会い、念願の歌手デビューへ!!

なんとか上京したものの、大学の勉強が大変だったため、演歌歌手になるための行動を起こせなかった竹島宏さんでしたが、大学3年生の時に、カラオケ番組の予選会に出場します。

この時、予選会で歌っていた竹島宏さんを見ていた、ある女性がいたのですが、歌唱後、その女性が声をかけてきて、彼女の主催するカラオケの審査会に誘ってくれたのだそうです。

振り返ってみると、この時、この女性に声をかけられたことが、竹島宏さんが演歌歌手になるきっかけとなりました。

その女性が主催するカラオケの審査会で、ゲスト審査員だったのが、竹島宏さんを、後に演歌歌手デビューへと導いてくれた、恩師である作詞家・久仁京介(くにきょうすけ)さんだったのです。

その後、久仁京介さんの紹介で、竹島宏さんは、現在の所属事務所である「オフィスK」で、アルバイトをすることになりました。

さらに、竹島宏さんは、大学4年生の時に、テレビ番組『歌謡サロン・演歌がええじゃん』(千葉テレビ等)に出演することが決まり、その後は、久仁京介さんのレッスンを受けつつ、アルバイトやテレビ番組への出演など、忙しく過ごしていたようです。

『歌謡サロン・演歌がええじゃん』は、2016年5月に『竹島宏の歌MAX』という竹島宏さんの冠番組にリニューアルされ、現在も続いています。

そして、ついに、竹島宏さんは、2002年7月24日に、1stシングル『いいもんだ いいもんだ』で、演歌歌手として、念願のデビューを果たします。

4.竹島宏の経歴③:3人組演歌歌手ユニット「イケメン3」結成をきっかけに、一躍注目を浴びる!!

竹島宏さんは、2008年12月2日放送のNHK『NHK歌謡コンサート』において、北川大介(きたがわだいすけ)さん、山内惠介(やまうちけいすけ)さんとともに、3人で初共演し、男性演歌歌手による3人組ユニットが結成されました。

2009年3月12日には、これまで決まっていなかった、3人組ユニット名が、「イケメン3(イケメンスリー)」に決定すると、同年12月2日には、「イケメン3」として初のオリジナル曲となる『恋の摩天楼』がリリースされました。

更に、同年12月3日には『イケメン3ファースト写真集』(学研パブリッシング)が発売され、ファンから絶大な人気を得ることになったのです。

「イケメン3」が結成され、注目を浴びたことによって、それぞれのメンバー(竹島宏さん、北川大介さん、山内惠介さん)の人気やCD売上もアップし、竹島宏さんが、一躍注目を浴びるきっかけにもなりました。

また、2009年7月10日、「イケメン3」に、さらに男性演歌歌手2人を加えて、新5人組ユニット「五輪の華(ごりんのはな)」が結成され、同年8月19日には、明治座において、「The Enka 五輪の華」コンサートが開催されています。

新たに加わったメンバーは、黒川真一朗(くろかわしんいちろう)さん、松原 健之(まつばらたけし)さんです。

その後、竹島宏さんは、2013年12月30日に行われた「第55回日本レコード大賞」において、「日本作曲家協会奨励賞」を受賞しています。

現在、2017年1月25日に発売された、竹島宏さんの20thシングル『月枕』がロングヒットを続けています。

5.竹島宏の出身中学校・高校・大学はどこ?出身高校の偏差値は?

ここでは、竹島宏さんの出身中学校・高校・大学はどこなのか、出身高校の偏差値はいくつなのかについて、調べた結果をご紹介したいと思います。

まず、竹島宏さんの出身中学校・高校はどこかについてです。

竹島宏さんのオフィシャルブログ「P64 Diary」の2015年4月2日付けの記事には、自身の母校について、次のように触れている記述があります。

僕にとっての福井のお花見スポットは、足羽川や九頭竜川の堤防沿いだったり、丸岡城や大野城だったり、母校の藤中や高志高校の校庭だったり。

ここで言う「藤中」とは、「福井市藤島中学校」のことですから、竹島宏さんの出身中学校は、

福井市藤島中学校

だと思います。

また、「高志高校」とは、福井県立高志高校のことですから、竹島宏さんの出身高校は、

福井県立高志高校(福井市)

で間違いありません。

ちなみに、「高志」は「こし」と読みます。

なお、福井県立高志高校は、2015年から、併設型中高一貫校となっており、現在の名称は、福井県立高志中学校・高校となっています。

竹島宏さんの出身高校である、福井県立高志高校の現在の偏差値ですが、普通科65、理数科63となっており、学力はなかなか高いと思われます。

最後に、竹島宏さんの出身大学はどこかについてですが、

明治大学経営学部

を卒業しています。

6.竹島宏は結婚してるって本当?彼女はいるの?

竹島宏さんは、現在38歳のアラフォーですが、これだけのイケメンですから、結婚してると言われても不思議ではないですよね。

では、竹島宏さんは、結婚してるって、本当でしょうか。

調べてみたところ、竹島宏さんは現在、結婚しておらず、独身です。

竹島宏さんが独身というのは、かなり意外ですよね。

そんな竹島宏さんも、かつて、テレビ番組『歌謡サロン・演歌がええじゃん』(千葉テレビ等)での共演をきっかけに、熱愛を噂された女性がいたようです。

その女性とは、実力派演歌歌手として知られる市川由紀乃(いちかわゆきの)さんです。

しかし、その後、2人の関係に進展はなかったようです。

というわけで、未だに結婚せず、独身を貫いている竹島宏さんなのですが、独身でいるのにはワケがあります。

そのワケとは、NHK紅白歌合戦への初出場という、デビュー以来の目標を達成するまで、「恋愛を禁止する」ことを宣言していることです。

したがって、竹島宏さんには現在、彼女はいないと思われます。

ただ、これだけのイケメンで、アラフォーであるにもかかわらず、未だに独身であることから、竹島宏さんには、あらぬ疑いがかけられているようなんです。

その疑いとは、なんと「オネエ疑惑」です。

竹島宏さんに「オネエ疑惑」がかけられている要因は、イケメンで、アラフォーなのに、結婚していないというだけでなく、声が高かったり、ブログの文章が女性っぽいことなど、いくつかあるようです。

ただ、竹島宏さんの「オネエ疑惑」の真相については、まだ明らかになっていないようです。

7.竹島宏の実家の家族・両親(父母)はどんな人?兄弟はいるの?

竹島宏さんの実家は、現在も福井県福井市にあると思われます。

ここでは、竹島宏さんの家族・両親(父母)はどんな人で、兄弟はいるのかについて、調べた結果をご紹介します。

まず、竹島宏さんの両親(父母)ですが、竹島宏さんが、高校時代に演歌歌手になりたいという夢を打ち明けたときには、さすがに驚いていたようです。

竹島宏さんが、東京の大学(明治大学経営学部)へ進学したいと打ち明けた時には、許してくれた両親(父母)でしたが、竹島宏さんが、本気で演歌歌手になるとは思っていなかったようです。

竹島宏さんは、演歌歌手としてデビューしてから、両親(父母)については、ほとんど語っていないようです。

どうして、竹島宏さんが、デビュー以来、両親(父母)について、ほとんど語っていないのかというと、竹島宏さんには、「故郷に錦を飾りたい」という思いがあるからかもしれません。

竹島宏さんが、自身のブログにおいて、触れていたことがあるからです。

次に、竹島宏さんに兄弟はいるのかについてですが、兄弟についても、ほとんど語ったことはなく、兄弟がいるかどうかはわかりませんでした。

竹島宏さんが、兄弟について、ほとんど触れたことがないということは、もしかしたら、一人っ子かもしれません。

逆に、竹島宏さんが、たまに語っている家族は、曾祖母(ひいおばあちゃん)、祖父母についてです。

竹島宏さんが、演歌歌手になるきっかけを与えてくれた、坂本冬美さんのコンサートに連れて行ってくれたのは、曾祖母(ひいおばあちゃん)でした。

竹島宏さんは、祖父母について、自身のオフィシャルブログ「P64 Diary」において、思い出の場所や、よく話していた言葉を綴っています。

2017年5月1日付けの記事では、祖父母との思い出の場所について、次のように、綴っています。

僕の故郷福井県でもツツジ祭りがあって、とっても綺麗なんです。

さばえつつじまつり。確かこのGW中の開催だったと思います。小さい頃、祖父母と行った思い出の場所。西山公園に、ばあちゃんが元気なうちにまた一緒に行けたらいいなと思います。

2015年1月13日付け、2016年5月17日付けの記事では、祖父母がよく話していた言葉について、次のように、触れています。

2015年1月13日付けの記事

「何があっても、どんなことがあっても、感謝だけは忘れるなよ。」田舎にいた頃、両親が、祖父母が、近所のおじちゃんおばちゃんたちが、みんな口を酸っぱくして教え続けてくれたことに、今改めて‘感謝’の気持ちでいっぱいです。

2016年5月17日付けの記事

人生、何事においても、ふつうでいられることが如何に幸せなことか。
そんな風に、昔、祖父母がよく話していたことを思い出しました。

戦争や1948年の福井地震を経験している人にしか理解できない想いがあり、だからこそ、その人たちにしか話せない言葉があるんだろうなって。

8.竹島宏、悲願のNHK紅白歌合戦2017へ初出場なるか!?

竹島宏さんは、2002年7月のデビュー以来、今年で15周年を迎えますが、悲願のNHK紅白歌合戦2017へ初出場することが期待されています。

NHK紅白歌合戦については、竹島宏さんは、ここ数年、悔しい思いをしてきました。

同じ「イケメン3」のメンバーである山内惠介さんは、2年連続で出場していますし、かつて熱愛が噂された市川由紀乃さんは、昨年2016年に初出場していますし、同世代の三山ひろし(みやまひろし)さんも、2年連続出場を果たしています。

そんな中、竹島宏さんは、最新シングル『月枕』まで、5作連続でオリコン演歌・歌謡ランキング第1位を獲得していますし、『月枕』も、ロングヒットを続けていることから、デビュー以来、NHK紅白歌合戦への初出場に最も近い位置にいるのではないでしょうか。

竹島宏さん自身も、今年こそ、NHK紅白歌合戦に出場したいと誓っています。

9.まとめ

この記事では、竹島宏さんはどんな人なのかを、身長・体重等経歴、出身中学校・高校・大学はどこで、結婚してるのか、彼女はいるのか、実家の家族・両親(父母)はどんな人で、兄弟はいるのかについて、ご紹介することによって、明らかにしてきましたが、いかがでしたでしょうか。

2017年も折り返し地点を過ぎ、残り半年を切りました。

NHK紅白歌合戦2017への初出場を目指す竹島宏さんにとって、ここからが正念場になります。

演歌界に新たなスターが現れることは、とても良いことですし、多くの演歌ファンも熱望しています。

演歌界のイケメンと言われる竹島宏さんが、NHK紅白歌合戦に初出場することになれば、演歌界は大いに盛り上がりますし、新たなスターの誕生となります。

竹島宏さんを応援して、2017年11月下旬のNHK紅白歌合戦の出場歌手発表を楽しみに待ちましょう。

竹島宏さんの今後更なるご活躍を期待しています。

山内惠介はどんな人?身長・体重、高校等経歴、結婚は?彼女はいるの?実家の家族、両親(父親・母親)、兄弟は?【祝・紅白歌合戦2016・2年連続出場】

出典:https://www.oricon.co.jp/

山内惠介(やまうちけいすけ)さんといえば、演歌界きってのイケメンとして知られており、昨年に続き、2016年NHK紅白歌合戦への2年連続2回目の出場が決まっています

山内惠介さんは、白組の4番手として、『流転の波止場~究極の貴公子編~』という曲目で出場し、対戦相手は人気女性シンガーソングライターのmiwaさんです。

同じく昨年に続き、2回目の出場の演歌歌手・三山ひろしさんが、『四万十川~けん玉大使編~』という曲目で、白組3番手で出場することから対抗しているようですね。

「演歌界の貴公子」「演歌界のプリンス」などと呼ばれている山内惠介さんですが、今回の2016年NHK紅白歌合戦では、「究極の貴公子編」とありますから、期待は高まるばかりです。

そんな山内惠介さんは、高校3年生の時にデビューし、15年目の昨年、2015年NHK紅白歌合戦への初出場を果たした苦労人です。

また、イケメンでありながら、親しみやすい人柄で、誰に対しても分け隔てなく、丁寧に接する態度に好感が持てるところが、山内惠介さんの人気の秘密です。

この記事では、山内惠介はどんな人なのかを、身長・体重、高校等経歴、結婚しているのか、彼女はいるのか、実家の家族、両親(父親・母親)はどんな人で、兄弟はいるのかについてご紹介することによって、明らかにしていきたいと思います。

1.山内惠介はどんな人?身長・体重、高校等プロフィール及び経歴

名前:山内惠介(やまうちけいすけ)

本名:山内惠介(やまうちけいすけ)

生年月日:1983年5月31日(現在33歳)

出身地:福岡県糸島郡前原町(まえばるまち、前原市 → 現在の糸島市)

身長:178cm

体重:58kg

血液型:O型

星座:ふたご座

出身高校:福岡県立筑前高校(福岡市)

レーベル:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント

所属事務所:三井エージェンシー

(1)山内惠介の生い立ち、地元でスカウトされデビューするもなかなか売れずに挫折

美空ひばりさんの大ファンであった母親が、山内惠介さんがお腹の中にいた頃から、美空ひばりさんの曲を聴いており、幼い頃から母親に美空ひばりさんのコンサートに連れられていたそうです。

そのため、山内惠介さんは自然と歌手になりたいと思うようになり、小学生の頃から演歌ばかり聴いていました。

そんな山内惠介さんが歌手になるチャンスは、想像以上に早く訪れます。

山内惠介さんが16歳の高校1年生だった1999年10月、地元福岡県内で行われたカラオケ大会に初めて出場したときに、思いがけず大物作曲家の水森英夫(みずもりひでお)さんにスカウトされます。

これ以後、山内惠介さんは水森英夫さんの門下生となり、月1回のペースでレッスンを受けるため、地元福岡県から上京するようになると、とんとん拍子に話が進み、スカウトされてから1年も経たないうちに、演歌歌手としてデビューすることが決まります。

そして、ついに2001年4月、当時18歳の高校3年生ながら、ファーストシングル『霧情』で演歌歌手デビューを果たします。

当時のキャッチフレーズは、「ぼくはエンカな高校生」でした。

前年には、同じ水森英夫さんの門下生で先輩の氷川きよしさんが、『箱根八里の半次郎』でデビューして、大ヒットを記録し、日本レコード大賞・最優秀新人賞を受賞するなど、その年の新人賞を総なめにし、NHK紅白歌合戦に初出場を果たしていました。

そのため、氷川きよしさんに続けとばかりに意気込み、期待されていた山内惠介さんでしたが、デビュー曲はオリコン週間ランキングでトップ100入りはしたものの、期待された結果には結びつきませんでした。

その後、2009年9月に『風蓮湖』をリリースするまで、山内惠介さんは苦悩することになります

(2)山内惠介初のご当地ソング『風蓮湖』がロングヒット ~ 北海道でブレイク後、全国で大ブレイクし、2015年NHK紅白歌合戦初出場へ

山内惠介さんの転機となったのは、2008年12月に放送された『NHK歌謡コンサート』において、北川大介(きたがわだいすけ)さん、竹島宏(たけしまひろし)さんとともに演歌ユニットを結成したことでした。

というのは、それ以降、山内惠介さんたち3人は一躍注目を浴びる存在となり、3人それぞれのCDシングルの売上が伸びるという現象が起こったからです。

2009年3月に「イケメン3」と名付けられると、人気はさらに過熱し結成から1年後の同年12月には、「イケメン3」によるオリジナル曲『恋の摩天楼』でメジャーデビューを果たすとともに、『イケメン3ファースト写真集』(学研パブリッシング)を発売するに至りました。

その勢いに乗り、2009年9月にリリースした、山内惠介さんの10枚目シングル『風蓮湖』がオリコン週間ランキングにおいて、50週を超えるランクインを果たし、初の10万枚超えの大ヒットを記録しました。

『風蓮湖』は山内惠介さん初の、北海道の根室半島に位置する風蓮湖を舞台にした「ご当地ソング」となっており、北海道における山内惠介さんの人気は爆発しました

その後も、北海道において、多くのラジオやテレビなどメディアへの露出が増えていった山内惠介さんは、11枚目シングル『白樺の誓い』、14thシングル『釧路空港』と北海道のご当地ソングをリリースしています。

このような流れから、この頃から山内惠介さんのNHK紅白歌合戦への出場が期待されていたようですが、叶うことはありませんでした。

また、北海道のご当地ソングでブレイクしたことから、2010年5月には『風蓮湖』の地元である北海道根室市の「味覚観光大使」、2013年5月には『釧路空港』を歌っていることから、「釧路空港宣伝特使」に相次いで任命されました。

一方、北海道での山内惠介さんの人気ぶりに危機感を感じたのか、2010年7月に山内惠介さんの出身地である糸島市からの依頼により、「糸島ふるさと大使」にも就任しました。

CDシングルの売上が伸びるにつれて、人気が上昇し始めると、驚いたことに、2014年1月公開の「山内惠介・THE歌謡ムービー 昭和歌謡危機一髪!」で映画初出演にして初主演を果たします

北海道での大ブレイクを果たした山内惠介さんでしたが、その後は全国での地道なキャンペーンを通じて、北海道から全国に人気は広がっていきましたが、これはひとえにイケメンでありながらも、山内惠介さんの人柄の良さとファンへの丁寧な神対応によるものです。

15枚目シングル『恋の手本』は、オリコン週間ランキングで9位を記録し、自身初のトップ10入りを果たすと、16枚目シングル『スポットライト』でも安定した売上を記録し、2015年の日本レコード大賞で日本作曲家協会選奨を受賞し、ついに、2015年NHK紅白歌合戦に悲願の初出場を決め、大ブレイクを果たしました。

2.山内惠介は結婚しているの?彼女はいる?

山内惠介さんは誰もが認める超イケメンで現在33歳ですから、結婚して子供がいてもおかしくありません。

しかし、現在独身のようです。

「演歌界の貴公子」と呼ばれる山内惠介さんにとって、独身であるということは大きな武器なのかもしれません。

逆に、今後結婚すると発表したときには、多少のファン離れも覚悟しなければならないですし、山内惠介さんの演歌歌手としての人気にも影響する可能性がありますから、結婚するとしても慎重にならざるを得ないでしょう。

そんな山内惠介さんには、現在彼女はいるのでしょうか

山内惠介さんのファンならずとも、気になるところですよね。

調べてみたところ、彼女ではないかと噂される1人の女性の存在が浮かび上がりました

その女性とは、山内惠介さんの所属事務所・三井エージェンシーの三井健生(みついけんせい)社長の御令嬢・三井悠加(みついゆうか)さんです。

三井健生社長は、山内惠介さんの師匠である水森英夫さんの実の兄であることから、水森英夫さんにとって三井悠加さんは、実の姪に当たります。

三井悠加さんは現在33歳で、山内惠介さんとは同学年でしょうか。

三井悠加さんは三井エージェンシーの社長令嬢というだけでなく、同事務所の業務にも深く関わっています。

2003年から三井エージェンシーに所属していた歌手・夏川りみさんのマネージャーを務めたあと、2007年からは山内惠介さんのマネジメントを長きにわたって担当していました。

したがって、三井悠加さんは山内惠介さんの苦しかった時代を支え、演歌歌手として成功するまで共にがんばってきた同志と言える存在です。

そんな三井悠加さんと山内惠介さんのツーショット写真が、こちらです。

出典:https://ryukyushimpo.jp/

三井悠加さんは、山内惠介さんにとってそういう関係の女性です。

山内惠介さんと三井悠加さんのツーショット写真を見る限り、美男美女のカップルのような印象があることから、三井悠加さんは山内惠介さんの彼女という噂があるのだと思います。

ただ、三井悠加さんは現在、2014年に設立された三井エージェンシーのロサンゼルス支社である三井エージェンシー・インターナショナルの社長兼CEOを務めています。

そのため、山内惠介さんの彼女が三井悠加さんだとしたら、遠距離恋愛ということになります。

しかし、日本とロサンゼルスの遠距離恋愛は現実的には難しいと思われますし、2人が会う機会もほとんどないと思われることから、山内惠介さんの彼女が三井悠加さんという可能性は低いと思います。

3.山内惠介の実家の家族、両親(父親・母親)はどんな人?兄弟はいるの?

山内惠介さんの実家は、現在も生まれ故郷である福岡県糸島市にあります。

山内惠介さんの兄弟ですが、年の離れた2人の兄がいることから、山内惠介さんは3人兄弟の末っ子ということになります。

したがって、山内惠介さんの家族は、父親・母親の両親と3人兄弟の5人家族です。

しかし、山内惠介さんは自身のご家族については、ほとんど語ったことがなかったようです。

それには訳があって、山内惠介さんは高校3年生の時にデビューしていることから、若くして親元を離れています。

上京後、デビューした当時は、実家の両親に連絡を取っていたようですが、その後停滞期に陥ると、所属事務所から非情な指示を受けたのです。

それは、実家の両親と連絡を絶つという指示でした

山内惠介さんの「心の甘えをなくす」という意図があったのだろうと思いますが、この指示はあまりにも非情だったように思います。

結果的に、山内惠介さんは大人気の演歌歌手として成功しましたが、実家の両親と連絡を絶ち、距離を置くようになってからは、実家の両親との関係もぎくしゃくしたりして、本当につらかったろうと思います。

実際、実家の両親と連絡を絶って以来、その姿勢は徹底していたようで、地元の福岡県にキャンペーンなどの仕事で訪れた際にも、山内惠介さんの両親は会場には訪れたものの、会わずに会場を後にしていたようです。

こういうエピソードを聞くと、山内惠介さんだけでなく、山内惠介さんのご両親もさぞかしつらく寂しかったろうと思います。

山内惠介さんは、テレビ朝日系『徹子の部屋』に出演したときに、母親から手紙をもらったことがありましたが、その手紙の内容からは、母親の息子・山内惠介さんに対する深い愛情が感じられるとともに、連絡を絶っていたときのつらさや寂しさが感じられました。

4.まとめ

この記事では、山内惠介はどんな人なのかを、身長・体重、高校等経歴、結婚しているのか、彼女はいるのか、実家の家族、両親(父親・母親)はどんな人で、兄弟はいるのかについてご紹介することによって、明らかにしてきました。

いまや演歌界きってのイケメン歌手として、「演歌界の貴公子」とまで言われるようになり、NHK紅白歌合戦に2年連続の出場権を獲得した山内惠介さんですが、ここまで来るには数多くのつらいことや苦労があったということがおわかりいただけたのではないでしょうか。

歌が上手いとか、イケメンだからというだけでは、演歌歌手として成功することは難しいということなんでしょうね。

しかし、最近のテレビなどで活躍している山内惠介さんを見ていると、人柄の良さが画面からも伝わってきますし、男から見てもつくづくイケメンだなぁと思います。

一般的に演歌のファンは中高年の方が多いのですが、山内惠介さんのファンは中高年の女性だけでなく、20~30代の女性が増えていると言います。

これだけでも山内惠介さんの演歌界での貢献度は高いと思いますが、これからも演歌界のファン層を広げるために大事な役割を果たしていってほしいと思います。

山内惠介さんの2016年NHK紅白歌合戦での歌唱を楽しみにしているとともに、今後更なるご活躍を期待しています。

三山ひろしって、どんな人?本名、身長、体重、出身高校等経歴、結婚しているの?子供は?実家の家族、両親(父母)、兄弟は?【祝・紅白歌合戦2016・2年連続出場】

出典:http://radical-everyday.com/

三山ひろしさんといえば、2015年、デビュー7年目にして、NHK紅白歌合戦に悲願の初出場を果たし、一気に大ブレイクしましたが、昨年に引き続き、2016年のNHK紅白歌合戦に2年連続出場が決定しました。

2016年NHK紅白歌合戦の曲順と披露曲は既に決定しており、三山ひろしさんは、白組の3番手で出場し、対戦相手は、2016年最もブレイクした新人歌手となった欅坂46(けやきざかフォーティーシックス)となりました。

三山ひろしさんが披露する曲は、『四万十川~けん玉大使編~』となっています。

四万十川』(しまんとがわ)は、三山ひろしさんの8枚目シングルであり、三山ひろしさんの地元高知県を流れる四万十川を舞台にした曲であり、7枚目シングル『お岩木山』に続くご当地ソングです。

ただ、NHK紅白歌合戦で披露するのは、『四万十川~けん玉大使編~』であり、「~けん玉大使編~」と付け加えられています。

三山ひろしさんは、けん玉の名手として知られ、コンサートなどでも披露しており、現在3段の腕前を誇り、日本けん玉協会認定の指導員2級の資格を持っている上、2016年11月には、「けん玉大使」に任命されていることから、NHK紅白歌合戦では、その腕前を披露すると思われます。

この記事では、三山ひろしさんって、どんな人なのかを、本名、年齢、身長、体重、出身高校等経歴、結婚しているのか、子供はいるのか、実家の家族、両親(父母)はどんな人で、兄弟はいるのかについて、ご紹介することによって、明らかにしたいと思います。

1.三山ひろしって、どんな人?本名、年齢、身長、体重、出身高校等プロフィール及び経歴

名前:三山ひろし(みやまひろし)

本名:恒石正彰(つねいしまさあき)

生年月日:1980年9月17日(年齢:37歳(2017年12月1日現在))

出身地:高知県南国市(なんこくし)

身長:170cm

体重:60kg

血液型:AB型

星座:おとめ座

趣味:読書、時代劇鑑賞

特技:けん玉(3段、指導員2級、けん玉大使)、着物の着付け、裁縫、竹とんぼを製作すること

好きな言葉:初心忘れるべからず

出身高校:高知県立山田高校香美市(かみし)

レーベル:日本クラウン

所属事務所:ミイガンプロダクション

2.三山ひろしの生い立ち ~ 演歌歌手になりたいという夢に向かって、上京へ

三山ひろしさんは、小学生の頃に両親が離婚してしまい、祖父母はいたものの、母子家庭で育ったことから、家計を助けようと、中学1年生の頃から新聞配達をしていた苦労人です。

幼い頃から祖父母の影響で、演歌ばかり聴いていたという三山ひろしさんは、歌手になりたいと思いながらも、高校卒業後、地元のガソリンスタンドに就職したそうです。

三山ひろしさんの歌手になりたいという夢を応援してくれたのは、祖母の清子さんで、詩吟教室に通うことを薦められ、詩吟を始めたそうです。

すぐにその才能を発揮し、詩吟の師匠になることを薦められたほどだったそうですが、断って、演歌歌手になるべく、動き始めます。

2004年1月に高知県土佐清水市で開催された「NHKのど自慢」に出場した三山ひろしさんは、見事にチャンピオンに輝き、同年3月には、NHKのど自慢グランドチャンピオン大会にも出場しています。

この「NHKのど自慢」に、内緒で応募してくれたのは、祖母の清子さんだったそうです。

この「NHKのど自慢」に出場したことをきっかけに、演歌歌手になる決意をした三山ひろしさんは、とりあえず上京します。

25歳の時のことでした。

3.三山ひろし、上京後、師匠と出会い、念願のデビュー ~ 2015年NHK紅白歌合戦初出場、2016年2年連続出場!!

上京したものの、演歌歌手になるためにどうすればいいのかを模索し、とりあえず就職しようしていた三山ひろしさんでしたが、なかなかうまくいかなかったようです。

そんな時、三山ひろしさんに大きな出会いが訪れます。

これからオープン予定という「LIVEレストラン青山」の募集広告を目にして、すぐに応募したところ、ウェイターとして採用されたのです。

幸運だったのが、そのレストランのオーナーが、演歌歌手の松前ひろ子(まつまえひろこ)さんで、その夫が作曲家の中村典正(なかむらてんしょう)さんだったことでした。

松前ひろ子さんは、北島三郎さんの従妹でもあります。

三山ひろしさんは、松前ひろ子さん、中村典正さん夫妻の付き人として、3年間の厳しい修行生活を送ったそうです。

三山ひろし」という名前の由来は、出身地の高知県南国市が三方を山に囲まれていることから「三山」、師匠・中村典正さんの別名である「山口ひろし」の「ひろし」からもらったそうです。

そして、2007年7月、三山ひろしさんに歌手デビューのチャンスが訪れます。

日本クラウン創立45周年記念新人オーディション」に出場した三山ひろしさんは、見事に準グランプリを受賞し、2009年6月に『人恋酒場』でデビューしました。

このデビュー曲『人恋酒場』は、10万枚を超えるヒットとなり、日本レコード協会2010年9月度のゴールドディスクに認定されると、2011年12月30日に行われた第53回日本レコード大賞において、「日本作曲家協会奨励賞」を受賞するという快挙を果たしました。

しかし、2枚目シングル『酔待ち酒場』以降は、10万枚の売上枚数を超えることができず、伸び悩んでいましたが、2015年2月にリリースした7枚目シングル『お岩木山』が自身最大のヒット曲となり、オリコン週間ランキングで最高の13位を記録し、売上枚数10万枚を突破しました。

そして、ついに2015年NHK紅白歌合戦に念願の初出場を果たし、2016年も2月にリリースした8枚目シングル『四万十川』が、オリコン週間ランキングで最高11位を記録し、2枚連続のヒットを果たし、2016年紅白歌合戦に2年連続2回目の出場を決めました。

また、2013年5月からは、高知市から認定されて、「よさこい親善大使」を務めています。

三山ひろしさんの声は、「ビタミンボイス」と言われていますが、幅広い音域を持つ声を駆使し、人に元気を与えてくれるからだそうです。

4.三山ひろしは、結婚しているの?子供はいるの?

三山ひろしさんは、2015年NHK紅白歌合戦に初出場するまでは、独身だと思われていました。

しかし、2015年NHK紅白歌合戦において、『お岩木山』を披露したあと、驚きの発表をします。

三山ひろしさんは、実は、2012年3月に結婚しており、子供も2人いるということを明かしました。

お相手は、師匠である松前ひろ子さん、中村典正さん夫妻の次女・洋子さんで、当時2歳の長女と、0歳4か月の長男がいるということでした。

2016年12月31日で、ちょうど1年経ちますから、長女は3歳、長男は1歳になっているということですね。

三山ひろしさんと妻・洋子さんがお付き合いを始めたのは、歌手デビュー前に「LIVEレストラン青山」でウェイターとして働いていたときだったそうです。

歌手デビュー後は、三山ひろしさんの現場マネージャーをしていたこともあるそうです。

師匠の娘さんとお付き合いして、結婚するという心境はどんなものなのでしょうか。

言い出しにくかったりしたのでしょうね。

5.三山ひろしの実家の家族、両親(父母)はどんな人?兄弟はいるの?

三山ひろしさんの実家は、高知県南国市にあり、25歳まで地元で暮らしていました。

三山ひろしさんには、弟が1人おり、もともとは、両親、弟、祖父母の6人家族でした。

しかし、三山ひろしさんが小学生の頃、両親が離婚し、養子だった父親が家を出て行ってしまったため、祖父母はいたものの、母子家庭となってしまいました。

三山ひろしさんは、祖父母の影響を強く受けており、祖父母から演歌を聴いて育ち、三山ひろしさんが歌手になりたいと思ったきっかけを作ってくれた存在です。

祖母の清子さんは、三山ひろしさんの歌唱力を見込んで、歌手になるべきだと思ってくれていたようで、孫の三山ひろしさんを詩吟教室に通うよう薦めたりして、三山ひろしさんが歌手になる後押しをしてくれたそうです。

祖母の清子さんは、孫の三山ひろしさんの2015年大みそかのNHK紅白歌合戦への初出場の晴れ姿を、NHKホールの客席から見守ってくれていたそうです。

祖父は、三山ひろしさんが幼い頃から、竹とんぼや竹馬の作り方を教えてくれたそうで、材料となる竹も近くの山から取ってくるという本格的なものだったと言います。

三山ひろしさんが、けん玉をやり始めたのも、この頃の経験が影響しているのかもしれません。

6.まとめ

三山ひろしさんについてのこの記事は、いかがでしたでしょうか。

この記事では、三山ひろしさんって、どんな人なのかを、本名、年齢、身長、体重、出身高校等経歴、結婚しているのか、子供はいるのか、実家の家族、両親(父母)はどんな人で、兄弟はいるのかについて、ご紹介することによって、明らかにしてきました。

2015年大みそかのNHK紅白歌合戦に初出場したことで、三山ひろしさんの知名度は飛躍的に上がりました。

その後も、三山ひろしさんのCDシングルは順調な売れ行きを続けており、2016年NHK紅白歌合戦にも2年連続の出場が決まり、『四万十川~けん玉大使編~』という曲目で、得意のけん玉を披露してくれるようです。

2016年大みそかのNHK紅白歌合戦でのパフォーマンスを楽しみにしているとともに、三山ひろしさんの今後更なるご活躍を期待しています。

福田こうへいって、どんな人?本名、身長、出身高校等経歴、家族、両親(父母)、兄弟は?結婚して、子供はいるの?【祝・紅白歌合戦再出場!!】

出典:https://matome.naver.jp/

福田こうへいさんをご存じでしょうか。

福田こうへいさんは、2012年にデビューすると、2013年のNHK紅白歌合戦に初出場を果たし、翌2014年にも出場し、2年連続でNHK紅白歌合戦に出場した実力派演歌歌手です。

そんな福田こうへいさんですが、所属事務所とのトラブルが発覚したことにより、歌手活動を自粛せざるを得ず、2015年のNHK紅白歌合戦には出場できませんでした。

しかし、2016年6月に、所属事務所とのトラブルが解決したことにより、新曲をリリースすることができたことから、2年ぶりにNHK紅白歌合戦への再出場を果たすことができました。

この記事では、福田こうへいさんって、どんな人なのかを、本名、身長、出身高校等経歴、家族、両親(父母)はどんな人で、兄弟はいるのか、結婚して、子供はいるのかをご紹介することによって、明らかにしていきたいと思います。

1.福田こうへいって、どんな人?本名、身長、出身高校等プロフィール及び経歴

名前:福田こうへい(ふくだこうへい)

本名:福田廣平(ふくだこうへい)

生年月日:1976年9月21日(年齢:41歳(2017年12月1日現在))

出身地:岩手県岩手郡雫石町(しずくいしちょう)(現在は岩手県盛岡市在住)

身長:157cm

血液型:O型

趣味:釣り、ゴルフ

特技:山菜採り

出身高校:岩手県立雫石高校

2.福田こうへい、出身地・岩手県岩手郡「雫石町民栄誉賞」を受賞!!

福田こうへいさんの出身地について、福田こうへいさんのオフィシャルウエブサイトでは「岩手県盛岡市玉山」となっていますが、2014年12月28日に、福田こうへいさんは「雫石町民栄誉賞」を受賞していることから、「岩手県岩手郡雫石町」で間違いないだろうと思われます。

3.福田こうへいの身長は、意外と小柄

福田こうへいさんは、写真で見る印象よりも、かなり小柄で、157cmしかありません。

しかし、その小柄な体から発せられる、高音で突き抜けるような歌声は、福田こうへいさんの魅力となっており、「平成の三橋美智也」になるのではないかと言われています。

4.福田こうへいは、民謡歌手の父と民舞師範の母という両親を持つ民謡のサラブレッド!!

福田こうへいさんは、民謡歌手の父・福田岩月(がんげつ)さんと民舞師範である母・福田キヌエさんの長男として生まれ、育てられました。

そんな民謡のサラブレッドとして生まれた福田こうへいさんでしたが、両親に反発して、民謡には見向きもせず、高校卒業後は、普通に就職したようです。

5.福田こうへい、23歳で民謡を始め、脱サラして、演歌歌手としてデビュー

福田こうへいさんが、民謡を始めたのは、意外にも23歳と遅かったのですが、父・福田岩月さんが実行委員を務めていた民謡大会に内緒で出場したところ、いきなり優勝してしまったそうです。

そのため、「自分でも民謡できるかも」という思いを抱いた福田こうへいさんは、働きながら、民謡のトレーニングを始め、民謡大会に次々と出場するなど、民謡の腕を磨いていきました。

そのうちに、才能が開花し、数々の全国大会で優勝し、民謡界では有名な存在となりました。

第25回日本民謡フェスティバル2012(NHKホール)において、グランプリを獲得したことを機に、12年間にわたって、勤めてきた呉服店の営業マンを辞めるという決断をして、脱サラしました。

福田こうへいさんの父で、民謡歌手の福田岩月さんは、2005年に、52歳の若さで亡くなっていたことから、父の分まで「自分がやらなければ」という思いから、プロの歌手としてデビューする決意をしました。

6.福田こうへいのデビュー曲『南部蝉しぐれ』が大ヒット ~ NHK紅白歌合戦初出場に続き、2年連続出場を果たす!!

福田こうへいさんは、2012年10月24日に、キングレコードから『南部蝉しぐれ』で、ついにデビューを果たし、ここから、福田こうへいさんの快進撃が始まります。

民謡界では有名だった福田こうへいさんでしたが、歌手デビューしてからは、ほとんど無名に近い状態でした。

しかし、2013年1月8日のNHK『歌謡コンサート』に初出演し、北島三郎さんから「日本歌謡界の宝になる」と絶賛されたのを機に、『南部蝉しぐれ』の売上が急激に伸びて、オリコンの演歌チャートで1位を記録し、総合チャートでも最高で8位を記録するという快挙を成し遂げました。

3万枚売り上げれば、合格と言われる演歌界において、28万枚という驚異の売上を記録し、デビュー曲にして、大ヒットを記録しました。

この結果、2013年は、第46回日本有線大賞新人賞、第55回輝く!日本レコード大賞新人賞を受賞し、NHK紅白歌合戦に初出場を果たすという、輝かしい成績を収めました。

2014年4月2日には、2ndシングル『峠越え』をリリースし、オリコン初登場6位という自己最高位を記録し、デビューシングル『南部蝉しぐれ』に続き、ロングヒットを記録しました。

この結果、福田こうへいさんは、2年連続でNHK紅白歌合戦出場を決めました。

7.福田こうへい、独立騒動を巡る所属事務所とのトラブル発覚により、2015年のNHK紅白歌合戦出場を逃す

演歌歌手としてデビュー以来、順風満帆だった福田こうへいさんでしたが、2014年12月、所属事務所「オフィスK」との独立を巡るトラブルが発生していることが発覚しました。

福田こうへいさんが、所属事務所に対して、「2014年をもって、契約終了」として、独立して、新事務所を立ち上げようとしたところ、所属事務所側は、2015年12月まで契約期間が残っていると主張したため、交渉が行われましたが、決裂し、所属事務所側は、1億100万円の損害賠償訴訟を東京地裁に起こしました。

結局、この訴訟による民事裁判は、約1年半の長きにわたって、続けられることになりました。

この独立を巡る所属事務所とのトラブルが影響したかどうかは、定かではありませんが、2015年のNHK紅白歌合戦に出場することは叶わず、3年連続出場を逃すことになってしまいました。

8.福田こうへい、所属事務所からの独立を巡る損害賠償による民事裁判の解決により、NHK紅白歌合戦に再出場を果たす!!

所属事務所との独立を巡る損害賠償による民事裁判は、2016年6月に和解が成立し、訴訟が取り下げられたことにより、ようやく解決し、終了しました。

福田こうへいさんは、訴訟が解決するまで、新曲のリリースを自粛していたため、2016年8月24日に、約2年5か月ぶりに、3rdシングル『北の出世船』をリリースすることができました。

こうして、福田こうへいさんは、2016年のNHK紅白歌合戦に再出場を果たすことができたのです。

9.福田こうへいの家族、両親(父母)はどんな人で、兄弟はいるの?結婚して、子供はいるの?

福田こうへいさんの家族について、ご紹介します。

これまでご紹介してきたとおり、福田こうへいさんのご両親は、民謡歌手の父・福田岩月(がんげつ)さんと民謡師範である母・福田キヌエさんです。

父・福田岩月さんは、見た目が男らしく、四角い顔で角刈りだったといいます。

そんな父・福田岩月さんと福田こうへいさんとは似ても似つかず、福田こうへいさんは、細顔で美人の母親似だったようです。

福田こうへいさんに兄弟はいないようですから、一人っ子だと思われます。

したがって、福田こうへいさんの家族は、もともと3人家族だったようですが、民謡歌手の父・福田岩月さんが、2005年に、52歳の若さで亡くなっています。

福田こうへいさんは、結婚しており、小学生の長男と長女の2人の子供がいます。

長男の名前は、暉穏(きおん)くんといい、小学4年生だそうです。

長女の名前は、わかりませんでしたが、小学1年生くらいだと思われます。

現在は、岩手県盛岡市玉山で、母、奥様と2人の子供、祖父母とともに暮らしており、7人家族です。

10.まとめ

いかがでしたでしょうか。

この記事では、福田こうへいさんって、どんな人なのかを、本名、身長、出身高校等経歴、家族、両親(父母)はどんな人で、兄弟はいるのか、結婚して、子供はいるのかをご紹介することによって、明らかにしてきました。

福田こうへいさんは、脱サラして、36歳でデビューした異色の演歌歌手ですが、デビュー曲『南部蝉しぐれ』がロングヒットを記録し、2013年のNHK紅白歌合戦に初出場すると、翌年も出場を決め、2年連続でNHK紅白歌合戦出場を果たしました。

2015年には、思わぬトラブルにより、NHK紅白歌合戦への3年連続出場を逃してしまった福田こうへいさんでしたが、2016年11月に、2016年のNHK紅白歌合戦に再出場することが決まりました。

今年の大みそかも、多くの方が、NHK紅白歌合戦を観ると思いますが、ぜひ、2年ぶりに出場する福田こうへいさんの魅力的な歌声を聴いてほしいと思います。

福田こうへいさんの2016年NHK紅白歌合戦での、2年ぶりの歌唱を楽しみにしています。