福原愛って、どんな人?身長、体重、出身小中学校、高校、大学等経歴、結婚相手の台湾人・江宏傑ってどんな人?亡き父と家族とは?

出典:https://www.sankei.com/

福原愛選手といえば、日本を代表する卓球選手ですが、驚きのニュースが飛び込んで来ました。

本日2016年9月8日、福原愛選手が、今月上旬に東京都内で婚姻届を提出し、結婚していたことが明らかになりました。

お相手は、かねてから交際しており、今年4月に交際を認めていた、リオ五輪・卓球台湾代表の江宏傑(ジャンホンジエ)選手です。

国籍はお互い変更せず、別姓のままで、すぐには同居しないそうです。

また、現役は続行するようです。

そこで、この記事では、福原愛って、どんな人なのかを、身長、体重、出身小中学校、高校、大学等経歴、結婚相手の台湾人・江宏傑ってどんな人なのか、亡き父と家族とは、どんな人たちなのかをご紹介することによって、明らかにしていきたいと思います。

福原愛って、どんな人?身長、体重、出身小中学校、高校、大学等経歴とは?

名前:福原愛(ふくはらあい)

愛称・ニックネーム・あだ名:

「泣き虫・愛ちゃん」「天才卓球少女」(子供時代)

「愛ちゃん」(現在)

生年月日:1988年11月1日(現在27歳)

出身地:宮城県仙台市(現・仙台市青葉区国見ヶ丘)

身長:155cm

体重:48kg

足のサイズ:24cm

利き腕:右

血液型:B型

星座:さそり座

干支:辰年

世界ランキング最高位は4位(2015年10月)

座右の銘:「よく寝て、よく食べ、よく笑う」(~2006)、「一意専心」(2006年~、兄の勧めにより変更)

出身幼稚園:仙台白百合学園幼稚園

出身小学校:仙台市立吉成(よしなり)小学校

出身中学校:青森山田中学校(青森県青森市

出身高校:青森山田高校(青森県青森市

出身大学:早稲田大学スポーツ科学部中退

所属:全日本空輸ANA

福原愛選手は、母が元卓球選手で、兄も卓球をやっていたことから、3歳9ヶ月から卓球を始め、英才教育を受けました。

子供の頃は、卓球クラブ『仙台ジュニアクラブ』に所属していました。

全日本卓球選手権大会などに出場し始めると、マスコミ、特にテレビで取り上げられるようになり、「泣き虫・愛ちゃん」「天才卓球少女」という愛称で親しまれ、国民的アイドルのような存在になりました。

その後も、大会への出場を続け、最年少記録を次々と更新していき、期待どおりの大活躍を続けました。

福原愛選手が、小学4年生、10歳の時、プロ宣言して、大阪府八尾市にあるミキハウスと専属契約を結ぶと、1998年8月に宮城県仙台市から大阪府八尾市に引っ越します。

この大阪で、後に福原愛選手の代名詞となる「王子サーブ」を、開発者である王子卓球クラブ(大阪市阿倍野区王子町)の作馬六郎さんから伝授されます。

中学校は、地元の公立校に進学したものも、スポーツの名門校である青森山田中学校に転校しました。

中学生になると、ITTFプロツアー(国際卓球連盟(ITTF)が主催し、世界各地で開催される卓球の国際オープン大会の総称)に積極的に出場するようになります。

高校1年生の時、アテネオリンピックで、オリンピック初出場を果たしましたが、4回戦敗退に終わっています。

ミキハウスとの契約が満了したため、2005年4月にグランプリと4年契約を結びます。

そして、福原愛選手にとって、大きな挑戦となる、中国最高レベルの中国超級(スーパー)リーグへ武者修行へ行きました。

2005年4月、中国超級(スーパー)リーグの遼寧省チームに入団しました(2005年6~12月)。

2006年3月には、中国超級リーグの広東佐川急便チームに移籍します(6~8月)。

この中国超級リーグへの挑戦は、中国での福原愛選手の知名度を飛躍的に上げることになり、中国での人気が急上昇しました。

この中国での経験により、福原愛選手は、流暢な中国語を話せるようになり、中国での人気を高めることになりました。

青森山田高校を卒業後、2007年4月に早稲田大学スポーツ科学部に入学すると、グランプリとの契約を解除し、全日本空輸ANA)と契約を結びます。

2008年8月の北京オリンピックでは、前回のアテネオリンピックに続き、4回戦敗退に終わりました。

早稲田大学スポーツ科学部に入学しましたが、ITTFプロツアーなどの海外ツアーに出場することを優先したため、大学に通学することが困難となったことから、2010年3月に中退しました。

2012年1月には、全日本選手権の決勝で石川佳純(いしかわかすみ)選手を破って、13回目の出場の末に、念願の初優勝を果たしました。

2012年のロンドンオリンピックでは、シングルスで自身初のベスト8に進出すると、団体戦では、準決勝でシンガポールを破って、決勝に進出し、中国には敗れましたが、日本卓球史上初の銀メダルを獲得しました。

2013年1月の全日本選手権では、昨年に続き、決勝で石川佳純選手を退けて、女子シングルス2連覇を成し遂げました。

同年8月のリオ五輪において、シングルスでは、完璧な試合運びで準決勝に進出しましたが、準決勝では、中国の李暁霞選手に敗れ、3位決定戦でも、北朝鮮のキム・ソンイ選手に敗れ、メダル獲得はなりませんでした。

団体戦では、準決勝でドイツに敗れたものの、3位決定戦で、シンガポールを下し、銅メダルを獲得しました。

福原愛の結婚相手の台湾人・江宏傑って、どんな人?実家、性格、リオ五輪の成績は?

この度、福原愛選手と結婚したリオ五輪・卓球台湾代表の江宏傑選手とは、一体どんな人なのかをご紹介します。

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出典:http://daliosite.com/

すごく良い写真ですよね~、とてもお似合いの夫婦です。

江宏傑(ジャンホンジエ)選手は、1989年2月22日生まれの現在27歳で、台湾の新竹市(しんちくし)出身、身長180cm、体重70kg、右利き、卓球世界ランキング79位の卓球台湾代表選手です。

長身で、イケメンというとてもかっこいい男性ですね。

福原愛選手は、イケメン好きなんですね。

江宏傑の実家とは?

江宏傑選手の実家は、現在も台湾の新竹市にあるそうです。

江宏傑選手は3人兄弟の末っ子で、両親、兄、姉の5人家族だそうです。

父親は、日本企業に務めているそうですので、親日家かもしれません。

また、福原愛選手は結婚する前に、挨拶をするために、江宏傑選手の実家を訪れているそうです。

福原愛選手は、中国でも台湾でも人気がありますから、江宏傑選手の実家のご家族も有名な福原愛選手が自宅にやってきたことに驚いたかもしれませんね。

江宏傑選手の実家は、台湾の新竹市にありますが、江宏傑選手が現在住んでいるのは、ドイツのデュッセルドルフだそうです。

ドイツの実業団チームに所属しているためです。

結婚後、すぐには同居しないとのことですが、ドイツと日本の遠距離結婚は、なかなか難しいと思うので、早めに同居を考えておいたほうがいいと思うのですが…

江宏傑の性格とは?

江宏傑選手の性格を知る上で、参考になるのは、福原愛選手との馴れ初めです。

福原愛選手と江宏傑選手が、いつ出会ったのかは定かではありませんが、連絡先を交換する仲ではあったようです。

そんな2人が交際へと発展するきっかけとなったのは、2014年末頃に、福原愛選手が腰痛がひどく、試合に欠場せざるをえなくなり、苦しんでいたときに、江宏傑選手がSNSを通じて、励ましてくれたのだそうです。

その後、江宏傑選手は福原愛選手に猛アタックをかけて、2015年春頃から交際に発展したそうです。

この江宏傑選手の福原愛選手への行動から、江宏傑選手の優しさ、思いやり、熱い思いが伝わってきて、性格の良さが伺われますよね。

江宏傑のリオ五輪での成績は?

江宏傑選手は、卓球の台湾代表として、リオ五輪に出場しました。

リオ五輪の開会式では、いつの間にか、福原愛選手の隣りに江宏傑選手がいて、ツーショット写真を撮っている姿が目撃されていましたよね。

そんな江宏傑選手は、卓球の団体戦に出場しましたが、格上のドイツ相手に、初戦敗退という成績となりました。

ただ、江宏傑選手は1勝したそうですから、次につながるのではないでしょうか。

福原愛の亡き父と家族とは?

福原愛の亡き父とは?

福原愛選手の父・武彦さんは、秋田県の病院で、肝臓がんのため、2013年10月6日に亡くなっています。

享年71歳。

しかし、娘である福原愛さんが、父・武彦さんの最期に立ち会うことはありませんでした。

なぜ、そのような事態になってしまったのでしょうか。

どうやら、福原愛さんと父・武彦さんは、2008年から絶縁状態にあったらしく、会っていなかったばかりか、電話やメールでの連絡も取っていなかったということです。

この衝撃の事実は、福原愛選手が、父・武彦さんが亡くなったことを知らせるFAXの中で明らかにされました。

福原愛選手の父・武彦さんといえば、福原愛選手が現在のようにオリンピックで活躍する卓球選手になる礎を築いた方です。

中国出身の元卓球チャンピオンをコーチとして招いたり、福原愛選手のために専用卓球場を用意するなど、福原愛選手の競技生活を支えてきました。

そんな父・武彦さんは、1990年から建設会社を経営しており、妻・千代さんを代表に据えて、福原愛選手のために、資金を捻出してきましたが、思うように経営することができずに、1億4000万円もの借金を抱えてしまい、福原愛選手をはじめ家族に迷惑をかけないように、2004年頃に離婚したのだそうです。

福原愛選手の父・武彦さんが秋田県の病院で最期を迎えたのは、秋田県湯沢市の温泉関連会社の役員をしていたからだそうです。

父・武彦さんは、秋田県大曲(おおまがり)市(現・大仙(だいせん)市)出身だったので、故郷の秋田に戻ったのかもしれません。

福原愛の母は?

福原愛選手の母・千代さんは、現在65歳で、宮城県登米(とめ)郡石越町(いしこしまち)(現・登米市)出身の元卓球選手です。

リオ五輪でも、福原愛選手から銅メダルをかけてもらっていましたから、母・千代さんの顔を知っている方は多いかもしれませんね。

福原愛選手の母・千代さんは、福原愛選手にとって、卓球の師匠といえる存在でもありますし、心の支えともいえる方だと思います。

そんな母・千代さんには、ある噂が流れているそうです。

それは、福原愛選手の母・千代さんは、中国人ではないかという噂です。

その噂の根拠は2つあって、「卓球が上手い=中国人」というイメージと娘の福原愛選手の中国語があまりにも流暢すぎることから、母・千代さんが中国人ではないかという噂が流れたようです。

ただ、この噂は、あくまで噂であって、福原愛選手の母・千代さんは、純粋な日本人のようです。

福原愛の兄は?

福原愛選手の兄・秀行さんは、現在37歳で、福原愛選手とは10歳も年が離れているのだそうです。

これだけ年が離れていたら、妹の福原愛選手のことがかわいくて、しょうがないと思います。

兄・秀行さんは、妹の福原愛選手のために「千秀企画」という事務所を設立し、2015年まで、福原愛選手のマネジメントを担当していたのだそうです。

もともと、福原愛選手が卓球を始めたのは、兄の秀行さんが卓球の練習をしていたのを見ていて、「私もやりたい」と言ったことがきっかけでした。

まとめ

予想はしていましたが、福原愛選手が結婚したという報道に接すると、あの「泣き虫・愛ちゃん」が結婚!?と時の流れを感じてしまいます。

福原愛選手は現役を続行するそうですから、2020年の東京オリンピックで、メダルを獲得する姿をぜひとも見てみたいですね。

たぶん、子供もほしいでしょうから、東京オリンピックの頃は、ママになっているかもしれませんね。

また、国際結婚ですから、子供の国籍をどうするかなどの問題は避けては通れないので、慎重に考えてほしいですね。

この記事では、福原愛って、どんな人なのかを、身長、体重、出身小中学校、高校、大学等経歴、結婚相手の台湾人・江宏傑ってどんな人なのか、亡き父と家族とは、どんな人たちなのかをご紹介することによって、明らかにしてきました。

福原愛選手の幸せな家庭と今後更なるご活躍を期待しています。