山内惠介(やまうちけいすけ)さんといえば、演歌界きってのイケメンとして知られており、昨年に続き、2016年NHK紅白歌合戦への2年連続2回目の出場が決まっています。
山内惠介さんは、白組の4番手として、『流転の波止場~究極の貴公子編~』という曲目で出場し、対戦相手は人気女性シンガーソングライターのmiwaさんです。
同じく昨年に続き、2回目の出場の演歌歌手・三山ひろしさんが、『四万十川~けん玉大使編~』という曲目で、白組3番手で出場することから対抗しているようですね。
「演歌界の貴公子」「演歌界のプリンス」などと呼ばれている山内惠介さんですが、今回の2016年NHK紅白歌合戦では、「究極の貴公子編」とありますから、期待は高まるばかりです。
そんな山内惠介さんは、高校3年生の時にデビューし、15年目の昨年、2015年NHK紅白歌合戦への初出場を果たした苦労人です。
また、イケメンでありながら、親しみやすい人柄で、誰に対しても分け隔てなく、丁寧に接する態度に好感が持てるところが、山内惠介さんの人気の秘密です。
この記事では、山内惠介はどんな人なのかを、身長・体重、高校等経歴、結婚しているのか、彼女はいるのか、実家の家族、両親(父親・母親)はどんな人で、兄弟はいるのかについてご紹介することによって、明らかにしていきたいと思います。
1.山内惠介はどんな人?身長・体重、高校等プロフィール及び経歴
名前:山内惠介(やまうちけいすけ)
本名:山内惠介(やまうちけいすけ)
生年月日:1983年5月31日(現在33歳)
出身地:福岡県糸島郡前原町(まえばるまち、前原市 → 現在の糸島市)
身長:178cm
体重:58kg
血液型:O型
星座:ふたご座
出身高校:福岡県立筑前高校(福岡市)
レーベル:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント
所属事務所:三井エージェンシー
(1)山内惠介の生い立ち、地元でスカウトされデビューするもなかなか売れずに挫折
美空ひばりさんの大ファンであった母親が、山内惠介さんがお腹の中にいた頃から、美空ひばりさんの曲を聴いており、幼い頃から母親に美空ひばりさんのコンサートに連れられていたそうです。
そのため、山内惠介さんは自然と歌手になりたいと思うようになり、小学生の頃から演歌ばかり聴いていました。
そんな山内惠介さんが歌手になるチャンスは、想像以上に早く訪れます。
山内惠介さんが16歳の高校1年生だった1999年10月、地元福岡県内で行われたカラオケ大会に初めて出場したときに、思いがけず大物作曲家の水森英夫(みずもりひでお)さんにスカウトされます。
これ以後、山内惠介さんは水森英夫さんの門下生となり、月1回のペースでレッスンを受けるため、地元福岡県から上京するようになると、とんとん拍子に話が進み、スカウトされてから1年も経たないうちに、演歌歌手としてデビューすることが決まります。
そして、ついに2001年4月、当時18歳の高校3年生ながら、ファーストシングル『霧情』で演歌歌手デビューを果たします。
当時のキャッチフレーズは、「ぼくはエンカな高校生」でした。
前年には、同じ水森英夫さんの門下生で先輩の氷川きよしさんが、『箱根八里の半次郎』でデビューして、大ヒットを記録し、日本レコード大賞・最優秀新人賞を受賞するなど、その年の新人賞を総なめにし、NHK紅白歌合戦に初出場を果たしていました。
そのため、氷川きよしさんに続けとばかりに意気込み、期待されていた山内惠介さんでしたが、デビュー曲はオリコン週間ランキングでトップ100入りはしたものの、期待された結果には結びつきませんでした。
その後、2009年9月に『風蓮湖』をリリースするまで、山内惠介さんは苦悩することになります。
(2)山内惠介初のご当地ソング『風蓮湖』がロングヒット ~ 北海道でブレイク後、全国で大ブレイクし、2015年NHK紅白歌合戦初出場へ
山内惠介さんの転機となったのは、2008年12月に放送された『NHK歌謡コンサート』において、北川大介(きたがわだいすけ)さん、竹島宏(たけしまひろし)さんとともに演歌ユニットを結成したことでした。
というのは、それ以降、山内惠介さんたち3人は一躍注目を浴びる存在となり、3人それぞれのCDシングルの売上が伸びるという現象が起こったからです。
2009年3月に「イケメン3」と名付けられると、人気はさらに過熱し結成から1年後の同年12月には、「イケメン3」によるオリジナル曲『恋の摩天楼』でメジャーデビューを果たすとともに、『イケメン3ファースト写真集』(学研パブリッシング)を発売するに至りました。
その勢いに乗り、2009年9月にリリースした、山内惠介さんの10枚目シングル『風蓮湖』がオリコン週間ランキングにおいて、50週を超えるランクインを果たし、初の10万枚超えの大ヒットを記録しました。
『風蓮湖』は山内惠介さん初の、北海道の根室半島に位置する風蓮湖を舞台にした「ご当地ソング」となっており、北海道における山内惠介さんの人気は爆発しました。
その後も、北海道において、多くのラジオやテレビなどメディアへの露出が増えていった山内惠介さんは、11枚目シングル『白樺の誓い』、14thシングル『釧路空港』と北海道のご当地ソングをリリースしています。
このような流れから、この頃から山内惠介さんのNHK紅白歌合戦への出場が期待されていたようですが、叶うことはありませんでした。
また、北海道のご当地ソングでブレイクしたことから、2010年5月には『風蓮湖』の地元である北海道根室市の「味覚観光大使」、2013年5月には『釧路空港』を歌っていることから、「釧路空港宣伝特使」に相次いで任命されました。
一方、北海道での山内惠介さんの人気ぶりに危機感を感じたのか、2010年7月に山内惠介さんの出身地である糸島市からの依頼により、「糸島ふるさと大使」にも就任しました。
CDシングルの売上が伸びるにつれて、人気が上昇し始めると、驚いたことに、2014年1月公開の「山内惠介・THE歌謡ムービー 昭和歌謡危機一髪!」で映画初出演にして初主演を果たします。
北海道での大ブレイクを果たした山内惠介さんでしたが、その後は全国での地道なキャンペーンを通じて、北海道から全国に人気は広がっていきましたが、これはひとえにイケメンでありながらも、山内惠介さんの人柄の良さとファンへの丁寧な神対応によるものです。
15枚目シングル『恋の手本』は、オリコン週間ランキングで9位を記録し、自身初のトップ10入りを果たすと、16枚目シングル『スポットライト』でも安定した売上を記録し、2015年の日本レコード大賞で日本作曲家協会選奨を受賞し、ついに、2015年NHK紅白歌合戦に悲願の初出場を決め、大ブレイクを果たしました。
2.山内惠介は結婚しているの?彼女はいる?
山内惠介さんは誰もが認める超イケメンで現在33歳ですから、結婚して子供がいてもおかしくありません。
しかし、現在独身のようです。
「演歌界の貴公子」と呼ばれる山内惠介さんにとって、独身であるということは大きな武器なのかもしれません。
逆に、今後結婚すると発表したときには、多少のファン離れも覚悟しなければならないですし、山内惠介さんの演歌歌手としての人気にも影響する可能性がありますから、結婚するとしても慎重にならざるを得ないでしょう。
そんな山内惠介さんには、現在彼女はいるのでしょうか。
山内惠介さんのファンならずとも、気になるところですよね。
調べてみたところ、彼女ではないかと噂される1人の女性の存在が浮かび上がりました。
その女性とは、山内惠介さんの所属事務所・三井エージェンシーの三井健生(みついけんせい)社長の御令嬢・三井悠加(みついゆうか)さんです。
三井健生社長は、山内惠介さんの師匠である水森英夫さんの実の兄であることから、水森英夫さんにとって三井悠加さんは、実の姪に当たります。
三井悠加さんは現在33歳で、山内惠介さんとは同学年でしょうか。
三井悠加さんは三井エージェンシーの社長令嬢というだけでなく、同事務所の業務にも深く関わっています。
2003年から三井エージェンシーに所属していた歌手・夏川りみさんのマネージャーを務めたあと、2007年からは山内惠介さんのマネジメントを長きにわたって担当していました。
したがって、三井悠加さんは山内惠介さんの苦しかった時代を支え、演歌歌手として成功するまで共にがんばってきた同志と言える存在です。
そんな三井悠加さんと山内惠介さんのツーショット写真が、こちらです。
三井悠加さんは、山内惠介さんにとってそういう関係の女性です。
山内惠介さんと三井悠加さんのツーショット写真を見る限り、美男美女のカップルのような印象があることから、三井悠加さんは山内惠介さんの彼女という噂があるのだと思います。
ただ、三井悠加さんは現在、2014年に設立された三井エージェンシーのロサンゼルス支社である三井エージェンシー・インターナショナルの社長兼CEOを務めています。
そのため、山内惠介さんの彼女が三井悠加さんだとしたら、遠距離恋愛ということになります。
しかし、日本とロサンゼルスの遠距離恋愛は現実的には難しいと思われますし、2人が会う機会もほとんどないと思われることから、山内惠介さんの彼女が三井悠加さんという可能性は低いと思います。
3.山内惠介の実家の家族、両親(父親・母親)はどんな人?兄弟はいるの?
山内惠介さんの実家は、現在も生まれ故郷である福岡県糸島市にあります。
山内惠介さんの兄弟ですが、年の離れた2人の兄がいることから、山内惠介さんは3人兄弟の末っ子ということになります。
したがって、山内惠介さんの家族は、父親・母親の両親と3人兄弟の5人家族です。
しかし、山内惠介さんは自身のご家族については、ほとんど語ったことがなかったようです。
それには訳があって、山内惠介さんは高校3年生の時にデビューしていることから、若くして親元を離れています。
上京後、デビューした当時は、実家の両親に連絡を取っていたようですが、その後停滞期に陥ると、所属事務所から非情な指示を受けたのです。
それは、実家の両親と連絡を絶つという指示でした。
山内惠介さんの「心の甘えをなくす」という意図があったのだろうと思いますが、この指示はあまりにも非情だったように思います。
結果的に、山内惠介さんは大人気の演歌歌手として成功しましたが、実家の両親と連絡を絶ち、距離を置くようになってからは、実家の両親との関係もぎくしゃくしたりして、本当につらかったろうと思います。
実際、実家の両親と連絡を絶って以来、その姿勢は徹底していたようで、地元の福岡県にキャンペーンなどの仕事で訪れた際にも、山内惠介さんの両親は会場には訪れたものの、会わずに会場を後にしていたようです。
こういうエピソードを聞くと、山内惠介さんだけでなく、山内惠介さんのご両親もさぞかしつらく寂しかったろうと思います。
山内惠介さんは、テレビ朝日系『徹子の部屋』に出演したときに、母親から手紙をもらったことがありましたが、その手紙の内容からは、母親の息子・山内惠介さんに対する深い愛情が感じられるとともに、連絡を絶っていたときのつらさや寂しさが感じられました。
4.まとめ
この記事では、山内惠介はどんな人なのかを、身長・体重、高校等経歴、結婚しているのか、彼女はいるのか、実家の家族、両親(父親・母親)はどんな人で、兄弟はいるのかについてご紹介することによって、明らかにしてきました。
いまや演歌界きってのイケメン歌手として、「演歌界の貴公子」とまで言われるようになり、NHK紅白歌合戦に2年連続の出場権を獲得した山内惠介さんですが、ここまで来るには数多くのつらいことや苦労があったということがおわかりいただけたのではないでしょうか。
歌が上手いとか、イケメンだからというだけでは、演歌歌手として成功することは難しいということなんでしょうね。
しかし、最近のテレビなどで活躍している山内惠介さんを見ていると、人柄の良さが画面からも伝わってきますし、男から見てもつくづくイケメンだなぁと思います。
一般的に演歌のファンは中高年の方が多いのですが、山内惠介さんのファンは中高年の女性だけでなく、20~30代の女性が増えていると言います。
これだけでも山内惠介さんの演歌界での貢献度は高いと思いますが、これからも演歌界のファン層を広げるために大事な役割を果たしていってほしいと思います。
山内惠介さんの2016年NHK紅白歌合戦での歌唱を楽しみにしているとともに、今後更なるご活躍を期待しています。