木嶋真優はどんな人?身長・体重、年齢、血液型等経歴と生い立ちとは?

出典:https://www.sankei.com/

木嶋真優(きしままゆ)さんをご存知でしょうか。

木嶋真優さんは、世界的に活躍している天才ヴァイオリニストとして知られている方です。

そんな木嶋真優さんですが、最近バラエティ番組などテレビで見る機会が多くなっていることから、気になっているという方もいるのではないでしょうか。

そこで、この記事では木嶋真優さんはどんな人なのかを、身長・体重、年齢、血液型等経歴と生い立ちをご紹介することによって、明らかにします

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1.木嶋真優はどんな人?身長・体重、年齢、血液型等プロフィール及び経歴

(1)木嶋真優の身長・体重、年齢、血液型等プロフィール

名前:木嶋真優(きしままゆ)

出身地:兵庫県神戸市

生年月日:1986年12月13日(現在の年齢:32歳

身長:157cm

体重:45kg前後(推定)

血液型:A型

星座:いて座

趣味:音楽鑑賞、映画鑑賞、ショッピング、食

座右の銘:まっすぐ、ありのままに

所属事務所:ジャパン・アーツ、ワタナベエンターテインメント

(2)木嶋真優の華麗なる経歴とは

木嶋真優さんは3歳でヴァイオリンを始め、子供向けのコンクールで3年連続金賞を受賞するなどその才能の片鱗を見せると、わずか9歳でオーケストラデビューしています

その後も1998年の第52回全日本学生音楽コンクール大阪大会小学生の部・第1位、1999年の日本クラシック音楽コンクール全国大会・最高位を獲得するなど小中学生時代にも大いに活躍しています。

2000年には第8回ヴィエニャフスキ国際コンクール・ジュニア部門において、日本人として最年少で最高賞を受賞。

木嶋真優さんが中学2年生のとき、のちに師事することになるヴァイオリニストでケルン音楽大学のザハール・ブロン教授からのアドバイスにより、2001年ケルン音楽大学ヤングコースへ留学します(平成14年度(2002年度)文化庁海外派遣研修員)。

ケルン音楽大学に留学中も木嶋真優さんの実力は認められ、師事したザハール・ブロン教授からは

「教え子の中で1、2を争う才能」

と高く評価されました。

更に、2005年にアメリカ、ヨーロッパツアーで共演した巨匠ロストロポーヴィチ氏は、木嶋真優さんを『世界で最も優れた若手ヴァイオリニスト』と評しています。

2011年、木嶋真優さんはケルン国際音楽コンクールのヴァイオリン部門で優勝すると共に、David Garrett賞を受賞しています。

2012年、ケルン音楽大学を首席で卒業した木嶋真優さんは、同大学院に進学すると同大学院をも満場一致の首席で卒業しています。

更にドイツの国歌演奏家資格も取得しました。

また、日本ではNHK大河ドラマ『平清盛』紀行のテーマ音楽の演奏に参加

2016年には、第1回上海アイザック・スターン国際ヴァイオリン・コンクールにおいて優勝すると、神戸市文化奨励賞を受賞しています。

現在、日本とヨーロッパを拠点にヴァイオリニストとして音楽活動をしている木嶋真優さんは、女性ファッション誌に登場したり、バラエティ番組へ出演したりするなど多方面で活躍しています。

2.木嶋真優の生い立ちとは?

3歳からヴァイオリンを始めて、その後世界的なヴァイオリニストとして成長し、現在も活躍している木嶋真優さんですが、その生い立ちはどのようなものだったのでしょうか。

ここでは、木嶋真優さんの生い立ちについて、彼女がヴァイオリニストになろうと決めたきっかけと努力の天才だったのではないかというエピソードをご紹介することによって明らかにします

(1)木嶋真優がヴァイオリニストになろうと決めたきっかけとは?

木嶋真優さんは小さな頃からヴァイオリンを習い始めていることから、それなりに裕福な家に生まれたお嬢様であることが伺われます。

では、木嶋真優さんがヴァイオリンを始めたきっかけとは、どのようなものだったのでしょうか。

これについては、木嶋真優さんが14歳の時、ヴァイオリンを始めた経緯について、次のように語っているインタビューがありました。

――ヴァイオリンを始めた経緯から話して下さい。

母(真理さん)がピアノを弾きますし、父(正憲さん)も音楽が大好き。3歳半のとき何かやらせようということになったんですが、手が小さくピアノは早過ぎる。小型もあるヴァイオリンをと始めたんです。母に言わせると、いつも練習を始めるまでくずぐずしてたそうですが、弾き出すと夢中になったらしい。でも小学校2年からは自分の意思で弾くように変わりました。きっかけは、94年6月に受けた五嶋みどりさんの公開レッスン。彼女が協奏曲を弾く舞台やリサイタルを聴いたことがあり、すごく透明感のある音色が大好きで、憧れていました。実際の五嶋さんは、音楽がとても好きですごく優しい人。私を子供でなく、一人の演奏家として扱ってくれました。ヴァイオリニストになろうと決めたのはこの時。その後、いろんなコンクールで金賞をもらって、さまざまな舞台も踏ませてもらっています。

出典:http://phoenixhall.jp/

木嶋真優さんがヴァイオリンを始めたのは、両親が娘の木嶋真優さんにヴァイオリンをやらせたことがきっかけだったようです。

ただ、ヴァイオリンを始めた当初は練習を嫌がっていた木嶋真優さんですが、五嶋みどりさんの公開レッスンをきっかけにヴァイオリニストになることを決意したと語っています。

五嶋みどりさんは大阪府枚方市(ひらかたし)出身で、米国を拠点に活躍している日本を代表する世界的ヴァイオリニストです。

小学2年生にしてヴァイオリニストになることを決めて、それを実現した木嶋真優さんの才能と努力には大変驚かされます。

(2)木嶋真優は努力の天才だった!?

木嶋真優さんがヴァイオリニストになるため、どのような努力をしていたのかについても、先程と同じインタビューで次のように語っています。

――ふだんの練習は。

毎日午後6時から11時ごろまで弾くようにしています。今も楽器を触るまでは弾くのが嫌。「モーニング娘。」が出るテレビを見たいし、友達とも遊びたいですから。でもいったん始めると時間が分からなくなるほど集中します。楽器が体の一部になる感じ。どうしても遊びたい時は朝4時に起き、6時まで弾いて日中に自由な時間を作ります。コンクールやレッスンで学校を休むことも少なくないですが、友達に抜けた部分を教えてもらったり、本当に助けてもらっていて心からお礼を言いたいです。

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このように木嶋真優さんは当時、毎日5時間はヴァイオリンの練習をしていたことになります。

また、2019年2月18日に放送された日本テレビ系トークバラエティ番組『しゃべくり007』(しゃべくりセブン)に出演した木嶋真優さんは、ヴァイオリンの練習時間について語っています。

木嶋真優さんによると、3歳のときにヴァイオリンを始めてから毎日「最低4時間から12時間」は練習していると言います。

また、「ヴァイオリンを持っていくことができない」という理由で、修学旅行にも行ったことがないとも木嶋真優さんは語っていました。

木嶋真優さんが言うには、1日練習をサボると、自分の手が人の手のようになるくらい感覚が鈍ってしまうというのです。

ヴァイオリンに対して、ここまで努力ができるのは、ヴァイオリンが本当に好きだからだと思いますし、人生をヴァイオリンに捧げていると言っても過言ではないように思います。

3.まとめ

この記事では、木嶋真優さんはどんな人なのかを、身長・体重、年齢、血液型等経歴と生い立ちをご紹介することによって、明らかにしました。

木嶋真優さんのこれまでの経歴から、天才ヴァイオリニストと言われる訳がよくわかっていだたけたのではないでしょうか。

その生い立ちからは、木嶋真優さんがいかに努力し、ヴァイオリンに人生を捧げてきたのかがわかったと思います。

そんな木嶋真優さんは大変美人ですし、天才ヴァイオリニストらしからぬ天然なキャラクターから注目が集まっています。

もしかしたら、第2の高嶋ちさ子さんのようになるかもしれません。

木嶋真優さんの今後益々のご活躍を期待しています。

石原詢子の実家の家族は?両親(父親・母親)はどんな人?兄弟姉妹はいるの?

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石原詢子(いしはらじゅんこ)さんといえば、昨年(2018年)デビュー30周年記念を迎え、同年9月5日には30周年記念リサイタルを行い、話題となりました。

そんな石原詢子さんは、ある家元の家に生まれたことをご存知でしょうか。

そこで、この記事では石原詢子さんの実家の家族について、両親(父親・母親)はどんな人なのか、兄弟姉妹はいるのかをご紹介することによって明らかにします

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1.石原詢子の実家の家族は?両親(父親・母親)はどんな人?

石原詢子さんの実家は、岐阜県揖斐(いび)郡池田町にあります。

石原詢子さんは6人兄弟の4番目の長女として生まれていますので、石原家の家族構成は両親(父親・母親)と6人兄弟の8人家族です。

(1)石原詢子の父親は詩吟の家元だった!?

石原詢子さんの父親は詩吟揖水流(いすいりゅう)の初代家元だったため、娘である石原詢子さんは幼い頃から詩吟揖水流の初代家元である父親の背中を見て育ちました。

そんな石原詢子さんは「お父さん子」だったからか、6人兄弟の中でも最も厳しく父親から稽古を受けてきました。

石原詢子さんによると、4歳から稽古漬けの毎日が始まり、小学生時代は学校に行っている時間以外は、朝から晩まで厳しい稽古を受けていたそうです。

石原詢子さんの父親がこれだけ厳しい稽古を長女の石原詢子さんに受けさせたのは、石原詢子さんに詩吟の家元になる資質があることを見抜いていたからではないでしょうか。

石原詢子さんの父親は、娘である石原詢子さんに詩吟揖水流の家元を継いでほしかったのではないでしょうか。

だから、石原詢子さんの父親は、娘が歌手になるために上京することにも反対だったのかもしれません。

そんな詩吟揖水流の初代家元だった石原詢子さんの父親は、後に大ヒットを記録する8枚目シングル「夕霧海峡」が発売された直後の1995年8月12日に、先に亡くなった母親の後を追うようにして、64歳で亡くなっています

石原詢子さんは亡き父親を思い、亡き父親の吟号である「源風(げんぷう)」をタイトルにしたアルバム「デビュー20周年記念スーパーシングルコレクション『源風』」を2007年10月にリリースしています。

石原詢子さんは、詩吟揖水流の初代家元だった父親が生きた証を残したかったのかもしれません。

(2)石原詢子、父親の跡を継ぎ詩吟揖水流の2代目家元へ!!

石原詢子さんは、生前の父親とある約束をしました。

その約束とは、

「50歳になったら継ぐからね」

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というもの。

石原詢子さんにとって、この父親との約束は大変重要なものだったらしく、石原詢子さんは約束の50歳になった2018年、詩吟揖水流詢風会(じゅんぷうかい)を設立し、2代目家元に就任するとともに、詩吟教室を始めました

更に同年9月には、石原詢子さんのデビュー30周年記念の詩吟アルバム「詢風(じゅんぷう)~吟詠の世界~」をリリースしています。

なお、石原詢子さんはもともと吟号を「石原美風(びふう)」としています

もし石原詢子さんの父親が生きていたら、娘の石原詢子さんが詩吟揖水流の2代目家元を継いだことをたいそう喜んだのではないでしょうか。

娘の石原詢子さんもその晴れ姿を亡き父親に見せてあげたかったに違いありません。

(3)石原詢子の母親はどんな人?

石原詢子さんは、詩吟揖水流の初代家元だった父親に比べると母親については、あまり語っていないようです。

しかし、石原詢子さんのブログ「詢子のひとりごと」の中の2016年7月24日(日)付けのタイトル「母の命日」という記事において、石原詢子さんは母親について語っています。

石原詢子さんの母親は、父親が亡くなる約2週間前の1995年7月25日に亡くなっています。

ちょうど石原詢子さんが長い下積み生活を経て、人気歌手の仲間入りすることができるのではないかという時期だったため、両親に自分の歌手としての姿をテレビやステージでいっぱい見せたかったという思いが強かった頃だったのではないかと思います。

石原詢子さんは、2011年4月にリリースした28枚目シングル「逢いたい、今すぐあなたに…。」で初の作詞に挑戦していますが、その際亡き母親の旧名である「いとう冨士子」をペンネームとして使っています。

石原詢子さんには、若くして亡くなった母親が生きた証を形に残したいという思いがあったようです。

したがって、石原詢子さんの亡き母親の名前は、「石原冨士子」さんということになります。

石原詢子さんは先のブログにおいて、亡き母親のことを次のように綴っています。

母の年齢に近づくにつれて、私の母への思いが微妙に変化してきているのを感じます。
もし、今でも母が元気でいてくれたら・・
あんな事もこんな事も一緒に出来たのに・・
そんな思いは21年経った今でも変わりません。
私の中では色褪せることなく母の笑顔、泣いた顔、怒ってる顔、上京するときに見せた寂しそうな顔、一つ一つが鮮明に思い出されます。
そして、母にはちっとも似てない!
と思っていたのに最近、ふとした時や自分の写真を見た時、、「あれ?母に似てきたかな?」と思ったりもします。

そう思うのは私だけかな?

出典:http://junko-ishihara.com/

石原詢子さんの公式ブログ「詢子のひとりごと」のこの記事はこちらです。

「母の命日」

亡くなった人の思い出は、まだ生きている者の心に刻まれているため、娘である石原詢子さんや兄弟姉妹が生きている限り、亡き母親の思い出は色褪せないと思います。

2.石原詢子に兄弟姉妹はいるの?どんな人?

石原詢子さんは、6人兄弟の4番目の長女として生まれていますとご紹介しましたが、6人兄弟の構成はどのようになっているのでしょうか。

石原詢子さんは兄弟の存在については、自身のブログでよく語っているのですが、6人兄弟の構成についてはほとんど明らかにしておりません。

しかし、石原詢子さんは、自身のブログ「詢子のひとりごと」の中の2017年7月25日(火)付けのタイトル「23回忌」の記事において、兄弟の画像を載せています

この画像によると、石原詢子さんの6人兄弟の構成は、長男、次男、三男、長女(石原詢子さん)、次女、三女だと思われます

ただし、「三女」については、画像の中の「三女」が若すぎること、いくつかの情報の中には「三女」ではなく「四男」という情報もあることから、末っ子は「三女」もしくは「四男」のどちらかではないかと思われます

石原詢子さんの公式ブログ「詢子のひとりごと」のこの記事はこちらです。

「23回忌」

3.まとめ

この記事では、石原詢子さんの実家の家族について、両親(父親・母親)はどんな人なのか、兄弟姉妹はいるのかをご紹介することによって明らかにしました

石原詢子さんの父親は詩吟揖水流の初代家元だったため、長女である石原詢子さんは子供の頃から厳しく稽古を受けていました。

そんな父親を説得して、歌手を目指し上京した石原詢子さんでしたが、ようやく成功しかかったとき、両親が相次いで亡くなってしまいました。

両親が亡くなってから23年、生前の父親と交わした詩吟揖水流の家元を継ぐという約束を果たすため、石原詢子さんは2018年に詩吟揖水流詢風会を設立し、2代目家元に就任、詩吟教室を始めています。

石原詢子さんは法事やお墓参りのために、兄弟たちと共に実家のある岐阜県揖斐郡池田町によく帰省しているようです。

天国にいる両親も仲睦まじい6人兄弟の姿に喜んでいるのではないでしょうか。

石原詢子さんの今後益々のご活躍を期待しています。

山内惠介はどんな人?身長・体重、高校等経歴、結婚は?彼女はいるの?実家の家族、両親(父親・母親)、兄弟は?【祝・紅白歌合戦2016・2年連続出場】

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山内惠介(やまうちけいすけ)さんといえば、演歌界きってのイケメンとして知られており、昨年に続き、2016年NHK紅白歌合戦への2年連続2回目の出場が決まっています

山内惠介さんは、白組の4番手として、『流転の波止場~究極の貴公子編~』という曲目で出場し、対戦相手は人気女性シンガーソングライターのmiwaさんです。

同じく昨年に続き、2回目の出場の演歌歌手・三山ひろしさんが、『四万十川~けん玉大使編~』という曲目で、白組3番手で出場することから対抗しているようですね。

「演歌界の貴公子」「演歌界のプリンス」などと呼ばれている山内惠介さんですが、今回の2016年NHK紅白歌合戦では、「究極の貴公子編」とありますから、期待は高まるばかりです。

そんな山内惠介さんは、高校3年生の時にデビューし、15年目の昨年、2015年NHK紅白歌合戦への初出場を果たした苦労人です。

また、イケメンでありながら、親しみやすい人柄で、誰に対しても分け隔てなく、丁寧に接する態度に好感が持てるところが、山内惠介さんの人気の秘密です。

この記事では、山内惠介はどんな人なのかを、身長・体重、高校等経歴、結婚しているのか、彼女はいるのか、実家の家族、両親(父親・母親)はどんな人で、兄弟はいるのかについてご紹介することによって、明らかにしていきたいと思います。

1.山内惠介はどんな人?身長・体重、高校等プロフィール及び経歴

名前:山内惠介(やまうちけいすけ)

本名:山内惠介(やまうちけいすけ)

生年月日:1983年5月31日(現在33歳)

出身地:福岡県糸島郡前原町(まえばるまち、前原市 → 現在の糸島市)

身長:178cm

体重:58kg

血液型:O型

星座:ふたご座

出身高校:福岡県立筑前高校(福岡市)

レーベル:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント

所属事務所:三井エージェンシー

(1)山内惠介の生い立ち、地元でスカウトされデビューするもなかなか売れずに挫折

美空ひばりさんの大ファンであった母親が、山内惠介さんがお腹の中にいた頃から、美空ひばりさんの曲を聴いており、幼い頃から母親に美空ひばりさんのコンサートに連れられていたそうです。

そのため、山内惠介さんは自然と歌手になりたいと思うようになり、小学生の頃から演歌ばかり聴いていました。

そんな山内惠介さんが歌手になるチャンスは、想像以上に早く訪れます。

山内惠介さんが16歳の高校1年生だった1999年10月、地元福岡県内で行われたカラオケ大会に初めて出場したときに、思いがけず大物作曲家の水森英夫(みずもりひでお)さんにスカウトされます。

これ以後、山内惠介さんは水森英夫さんの門下生となり、月1回のペースでレッスンを受けるため、地元福岡県から上京するようになると、とんとん拍子に話が進み、スカウトされてから1年も経たないうちに、演歌歌手としてデビューすることが決まります。

そして、ついに2001年4月、当時18歳の高校3年生ながら、ファーストシングル『霧情』で演歌歌手デビューを果たします。

当時のキャッチフレーズは、「ぼくはエンカな高校生」でした。

前年には、同じ水森英夫さんの門下生で先輩の氷川きよしさんが、『箱根八里の半次郎』でデビューして、大ヒットを記録し、日本レコード大賞・最優秀新人賞を受賞するなど、その年の新人賞を総なめにし、NHK紅白歌合戦に初出場を果たしていました。

そのため、氷川きよしさんに続けとばかりに意気込み、期待されていた山内惠介さんでしたが、デビュー曲はオリコン週間ランキングでトップ100入りはしたものの、期待された結果には結びつきませんでした。

その後、2009年9月に『風蓮湖』をリリースするまで、山内惠介さんは苦悩することになります

(2)山内惠介初のご当地ソング『風蓮湖』がロングヒット ~ 北海道でブレイク後、全国で大ブレイクし、2015年NHK紅白歌合戦初出場へ

山内惠介さんの転機となったのは、2008年12月に放送された『NHK歌謡コンサート』において、北川大介(きたがわだいすけ)さん、竹島宏(たけしまひろし)さんとともに演歌ユニットを結成したことでした。

というのは、それ以降、山内惠介さんたち3人は一躍注目を浴びる存在となり、3人それぞれのCDシングルの売上が伸びるという現象が起こったからです。

2009年3月に「イケメン3」と名付けられると、人気はさらに過熱し結成から1年後の同年12月には、「イケメン3」によるオリジナル曲『恋の摩天楼』でメジャーデビューを果たすとともに、『イケメン3ファースト写真集』(学研パブリッシング)を発売するに至りました。

その勢いに乗り、2009年9月にリリースした、山内惠介さんの10枚目シングル『風蓮湖』がオリコン週間ランキングにおいて、50週を超えるランクインを果たし、初の10万枚超えの大ヒットを記録しました。

『風蓮湖』は山内惠介さん初の、北海道の根室半島に位置する風蓮湖を舞台にした「ご当地ソング」となっており、北海道における山内惠介さんの人気は爆発しました

その後も、北海道において、多くのラジオやテレビなどメディアへの露出が増えていった山内惠介さんは、11枚目シングル『白樺の誓い』、14thシングル『釧路空港』と北海道のご当地ソングをリリースしています。

このような流れから、この頃から山内惠介さんのNHK紅白歌合戦への出場が期待されていたようですが、叶うことはありませんでした。

また、北海道のご当地ソングでブレイクしたことから、2010年5月には『風蓮湖』の地元である北海道根室市の「味覚観光大使」、2013年5月には『釧路空港』を歌っていることから、「釧路空港宣伝特使」に相次いで任命されました。

一方、北海道での山内惠介さんの人気ぶりに危機感を感じたのか、2010年7月に山内惠介さんの出身地である糸島市からの依頼により、「糸島ふるさと大使」にも就任しました。

CDシングルの売上が伸びるにつれて、人気が上昇し始めると、驚いたことに、2014年1月公開の「山内惠介・THE歌謡ムービー 昭和歌謡危機一髪!」で映画初出演にして初主演を果たします

北海道での大ブレイクを果たした山内惠介さんでしたが、その後は全国での地道なキャンペーンを通じて、北海道から全国に人気は広がっていきましたが、これはひとえにイケメンでありながらも、山内惠介さんの人柄の良さとファンへの丁寧な神対応によるものです。

15枚目シングル『恋の手本』は、オリコン週間ランキングで9位を記録し、自身初のトップ10入りを果たすと、16枚目シングル『スポットライト』でも安定した売上を記録し、2015年の日本レコード大賞で日本作曲家協会選奨を受賞し、ついに、2015年NHK紅白歌合戦に悲願の初出場を決め、大ブレイクを果たしました。

2.山内惠介は結婚しているの?彼女はいる?

山内惠介さんは誰もが認める超イケメンで現在33歳ですから、結婚して子供がいてもおかしくありません。

しかし、現在独身のようです。

「演歌界の貴公子」と呼ばれる山内惠介さんにとって、独身であるということは大きな武器なのかもしれません。

逆に、今後結婚すると発表したときには、多少のファン離れも覚悟しなければならないですし、山内惠介さんの演歌歌手としての人気にも影響する可能性がありますから、結婚するとしても慎重にならざるを得ないでしょう。

そんな山内惠介さんには、現在彼女はいるのでしょうか

山内惠介さんのファンならずとも、気になるところですよね。

調べてみたところ、彼女ではないかと噂される1人の女性の存在が浮かび上がりました

その女性とは、山内惠介さんの所属事務所・三井エージェンシーの三井健生(みついけんせい)社長の御令嬢・三井悠加(みついゆうか)さんです。

三井健生社長は、山内惠介さんの師匠である水森英夫さんの実の兄であることから、水森英夫さんにとって三井悠加さんは、実の姪に当たります。

三井悠加さんは現在33歳で、山内惠介さんとは同学年でしょうか。

三井悠加さんは三井エージェンシーの社長令嬢というだけでなく、同事務所の業務にも深く関わっています。

2003年から三井エージェンシーに所属していた歌手・夏川りみさんのマネージャーを務めたあと、2007年からは山内惠介さんのマネジメントを長きにわたって担当していました。

したがって、三井悠加さんは山内惠介さんの苦しかった時代を支え、演歌歌手として成功するまで共にがんばってきた同志と言える存在です。

そんな三井悠加さんと山内惠介さんのツーショット写真が、こちらです。

出典:https://ryukyushimpo.jp/

三井悠加さんは、山内惠介さんにとってそういう関係の女性です。

山内惠介さんと三井悠加さんのツーショット写真を見る限り、美男美女のカップルのような印象があることから、三井悠加さんは山内惠介さんの彼女という噂があるのだと思います。

ただ、三井悠加さんは現在、2014年に設立された三井エージェンシーのロサンゼルス支社である三井エージェンシー・インターナショナルの社長兼CEOを務めています。

そのため、山内惠介さんの彼女が三井悠加さんだとしたら、遠距離恋愛ということになります。

しかし、日本とロサンゼルスの遠距離恋愛は現実的には難しいと思われますし、2人が会う機会もほとんどないと思われることから、山内惠介さんの彼女が三井悠加さんという可能性は低いと思います。

3.山内惠介の実家の家族、両親(父親・母親)はどんな人?兄弟はいるの?

山内惠介さんの実家は、現在も生まれ故郷である福岡県糸島市にあります。

山内惠介さんの兄弟ですが、年の離れた2人の兄がいることから、山内惠介さんは3人兄弟の末っ子ということになります。

したがって、山内惠介さんの家族は、父親・母親の両親と3人兄弟の5人家族です。

しかし、山内惠介さんは自身のご家族については、ほとんど語ったことがなかったようです。

それには訳があって、山内惠介さんは高校3年生の時にデビューしていることから、若くして親元を離れています。

上京後、デビューした当時は、実家の両親に連絡を取っていたようですが、その後停滞期に陥ると、所属事務所から非情な指示を受けたのです。

それは、実家の両親と連絡を絶つという指示でした

山内惠介さんの「心の甘えをなくす」という意図があったのだろうと思いますが、この指示はあまりにも非情だったように思います。

結果的に、山内惠介さんは大人気の演歌歌手として成功しましたが、実家の両親と連絡を絶ち、距離を置くようになってからは、実家の両親との関係もぎくしゃくしたりして、本当につらかったろうと思います。

実際、実家の両親と連絡を絶って以来、その姿勢は徹底していたようで、地元の福岡県にキャンペーンなどの仕事で訪れた際にも、山内惠介さんの両親は会場には訪れたものの、会わずに会場を後にしていたようです。

こういうエピソードを聞くと、山内惠介さんだけでなく、山内惠介さんのご両親もさぞかしつらく寂しかったろうと思います。

山内惠介さんは、テレビ朝日系『徹子の部屋』に出演したときに、母親から手紙をもらったことがありましたが、その手紙の内容からは、母親の息子・山内惠介さんに対する深い愛情が感じられるとともに、連絡を絶っていたときのつらさや寂しさが感じられました。

4.まとめ

この記事では、山内惠介はどんな人なのかを、身長・体重、高校等経歴、結婚しているのか、彼女はいるのか、実家の家族、両親(父親・母親)はどんな人で、兄弟はいるのかについてご紹介することによって、明らかにしてきました。

いまや演歌界きってのイケメン歌手として、「演歌界の貴公子」とまで言われるようになり、NHK紅白歌合戦に2年連続の出場権を獲得した山内惠介さんですが、ここまで来るには数多くのつらいことや苦労があったということがおわかりいただけたのではないでしょうか。

歌が上手いとか、イケメンだからというだけでは、演歌歌手として成功することは難しいということなんでしょうね。

しかし、最近のテレビなどで活躍している山内惠介さんを見ていると、人柄の良さが画面からも伝わってきますし、男から見てもつくづくイケメンだなぁと思います。

一般的に演歌のファンは中高年の方が多いのですが、山内惠介さんのファンは中高年の女性だけでなく、20~30代の女性が増えていると言います。

これだけでも山内惠介さんの演歌界での貢献度は高いと思いますが、これからも演歌界のファン層を広げるために大事な役割を果たしていってほしいと思います。

山内惠介さんの2016年NHK紅白歌合戦での歌唱を楽しみにしているとともに、今後更なるご活躍を期待しています。

市川由紀乃って、どんな人?本名、年齢、身長、体重、出身小中学校、高校等経歴、結婚しているの?彼氏は?家族、両親(父母)、兄弟は?【祝・紅白初出場!】

出典:http://cherrychan.exblog.jp/

2016年も師走を迎え、NHK紅白歌合戦の季節がやってきました。

2016年11月24日、第67回NHK紅白歌合戦の出場歌手46組が発表されました。

出場歌手全46組の中で初出場を決めたのは、PUFFY(パフィー)、KinKi Kids(キンキキッズ)など10組となりましたが、女性演歌歌手としては、水森かおりさん以来13年ぶりの初出場を果たしたのが、市川由紀乃さんです。

市川由紀乃さんは、デビュー以来、NHK紅白歌合戦出場を目標にしてきましたが、決して容易なことではなく、これまで多くの挫折を経験し、デビュー23年目にして、ついにNHK紅白歌合戦初出場を果たしました。

この記事では、市川由紀乃さんって、どんな人なのかを、本名、年齢、身長、体重等経歴、出身小中学校、高校はどこか、結婚しているのか、彼氏はいるのか、家族、両親(父母)はどんな人で、兄弟はいるのかについて、ご紹介することによって、明らかにしていきたいと思います。

1.市川由紀乃って、どんな人?本名、年齢、身長、体重等プロフィール及び経歴

名前:市川由紀乃(いちかわゆきの)

本名:松村真利(まつむらまり)

生年月日:1976年1月8日(年齢:42歳(2018年1月現在))

出身地:埼玉県さいたま市(旧・浦和市)

身長:170.5cm

体重:50kg代前後(推定)

血液型:A型

星座:やぎ座

趣味:妄想

尊敬する人:長嶋茂雄

好きな映画:『箱入り息子の恋』(2013年6月8日公開の市井昌秀(いちいまさひで)監督作品で、星野源(ほしのげん)さん主演)

好きな花:なでしこ、サクラソウ

レーベル:テイチク(1993年~1998年) → キングレコード(1998年~)

所属事務所:プライム

2.市川由紀乃、歌手デビュー ~ 燃え尽き症候群により歌手活動休止へ

市川由紀乃さんは、16歳の高校生のときに参加した、埼玉新聞社主催のカラオケ大会で優勝したときに、現在の事務所からスカウトされ、この時のカラオケ大会の審査員だった作曲家の市川昭介(いちかわしょうすけ)さんの門下に入ります。

師匠である市川昭介さんから「市川」という苗字をもらい、市川由紀乃として、1993年8月21日に『おんなの祭り』でデビューします。

デビュー当時、市川由紀乃さんは17歳という若さでした。

翌1994年には、テレビ東京系列主催「第13回メガロポリス歌謡祭」新人賞、「第26回新宿音楽祭」新人賞を受賞すると、1996年には、「第6回NHK新人歌謡コンテスト」優秀賞を受賞するなど、順調な歌手人生をスタートしました。

1998年1月21日には、デビュー5周年を記念した曲『花乱舞』をリリースします。

同年10月には、それまでのレーベルだったテイチクからキングレコードに移籍し、同年10月21日に『一度でいいから』をリリースします。

2001年4月からは、文化放送のラジオ番組『走れ!歌謡曲』で、初のパーソナリティーを務めることになり、1年間の長きにわたって、ラジオパーソナリティーを務めました。

しかし、市川由紀乃さんに異変が起こります。

ある日、いわゆる燃え尽き症候群といわれる症状に陥り、「こんな気持ちではステージに立てない」という思いに至ったため、2002年4月から歌手活動を休止することになりました。

市川由紀乃さんは、休止期間中、天ぷら専門店「新宿つな八」でアルバイトをしていたそうです。

3.市川由紀乃、不死鳥のごとく復活し、NHK紅白歌合戦初出場へ!!

引退も覚悟していた市川由紀乃さんでしたが、師匠の市川昭介さんの後押しもあり、2006年に歌手に復帰することを決断し、2006年10月25日に『海峡出船』をリリースしました。

歌手活動の休止期間は4年半にも及び、実に5年ぶりの新曲となりました。

この曲のレコーディングに立ち会った師匠の市川昭介さんは、デビュー直前の同年9月26日に、73歳で亡くなっています。

なんとか復帰を果たした市川由紀乃さんは、新曲『海峡出船』の発売と同時に、公式ブログ『市川由紀乃ぶろぐ』を立ち上げるなど、精力的に活動します。

2009年4月1日には、ファンクラブ「市川由紀乃ふぁんくらぶ」を発足します。

すると、徐々に、シングル曲の売上枚数が伸び始め、『海峡岬』(2014年9月3日リリース)、『命咲かせて』(2015年4月22日リリース)、『心かさねて』(2016年4月20日リリース)と曲がヒットし始めます。

この状況を証明するかのように、2014年の第56回日本レコード大賞では、日本作曲家協会奨励賞を受賞しました。

そして、2016年7月に「福島県国見町の応援大使」に就任すると、同年11月、デビュー以来の悲願だった第67回NHK紅白歌合戦に初出場することが決定しました。

4.市川由紀乃の出身小中学校、高校はどこ?

市川由紀乃さんの出身小中学校、高校については、非公開となっています。

しかし、出身小学校については、浦和市立本太(もとぶと)小学校(現・さいたま市立本太小学校)だということがわかりました。

市川由紀乃さんは、2015年4月28日付けの自身のオフィシャルブログで、「同じ中学校出身!」というタイトルで、TBSラジオ『Fine!!(ファイン)』に出演したことを報告した際、その番組のパーソナリティーを務めているフリーアナウンサーの池田めぐみさんが、同じ中学校出身だったことを明かしており、浦和あるある話で盛り上がったことも明かしています。

また、市川由紀乃さんは、中学1年生の1学期まで埼玉県浦和市で過ごしていましたが、両親が離婚したため、どうやら引っ越したようです。

そのため、中学校の転校を余儀なくされたようですが、どこに引っ越したのかは、わかりません。

したがって、市川由紀乃さんの出身中学校は、わかりませんでした。

市川由紀乃さんは、16歳の高校生の時にスカウトされ、17歳で歌手デビューしていますが、その時、高校は中退したようです。

1993年のことですが、歌手デビューするにしても、高校くらいは卒業させてあげてもよかったような気がしますが、どうだったのでしょうか。

5.市川由紀乃は、結婚しているの?彼氏はいるの?

170cmを超える長身で、モデルさんのようなスタイルを持ち、40歳とは思えないような美人でもある市川由紀乃さんですので、結婚して、子供がいても、不思議ではないですが、現在独身のようです。

市川由紀乃さん自身は、「今は仕事が楽しく、紅白出場の夢があるので…」と語っていましたが、ついにNHK紅白歌合戦出場の夢が叶いました。

ということは、来年の目標は、結婚して、子供を授かることでしょうか。

市川由紀乃さんのような美魔女であれば、結婚しようと思えば、いくらでもできると思うので、良い報告を期待しています。

6.市川由紀乃の家族、両親(父母)はどんな人で、兄弟はいるのか?

市川由紀乃さんは、埼玉県浦和市で生まれ育ち、歌うことが大好きな少女でしたが、中学1年生の時に、両親が離婚し、市川由紀乃さんは兄とともに、母親に引き取られました。

市川由紀乃さんには8歳年上の兄がいますが、脳性麻痺の障害を抱えており、女手ひとつで、2人の子供を育てた母親の苦労は、並大抵のことではなかったに違いありません。

そんな母親に「一戸建ての家をプレゼントしたい」という思いや親孝行したい一心で、市川由紀乃さんは、がんばってきたそうです。

また、市川由紀乃さんは、障害を抱えた兄のためにも、紅白出場を目指して、歌手活動を続けていましたが、その兄は残念ながら、2008年に亡くなっています。

7.まとめ

いかがでしたでしょうか。

この記事では、市川由紀乃さんって、どんな人なのかを、本名、年齢、身長、体重等経歴、出身小中学校、高校はどこか、結婚しているのか、彼氏はいるのか、家族、両親(父母)はどんな人で、兄弟はいるのかについて、ご紹介することによって、明らかにしてきました。

市川由紀乃さんは、ついに長年の夢であるNHK紅白歌合戦初出場を成し遂げたわけですが、決して、知名度が高いわけではありません。

市川由紀乃さんのことを知らない人は、日本全国にいっぱいいると思います。

そんな市川由紀乃さんにとって、NHK紅白歌合戦に初出場することは、知名度を一気に上げるためには、千載一遇(せんざいいちぐう)の大きなチャンスです。

市川由紀乃さんには、NHK紅白歌合戦の本番で、一生懸命歌ってほしいと思います。