出典:https://www.gourmetcaree.jp/
2019年5月30日(木)22時から放送されるテレビ東京系『カンブリア宮殿』には、老舗料理店「土佐料理 司」の3代目社長である竹内太一(たけうちたいち)さんが出演されます。
というのは、「土佐料理 司」社長・竹内太一さんは、高知県の郷土料理を「土佐料理」のブランド化を徹底させることによって、地域の活性化に大きな役割を果たしているからです。
そこで、この記事では「土佐料理 司」社長・竹内太一さんとはどんな人物なのかを、年齢等経歴、学歴(出身高校・大学)をご紹介することによって、明らかにします。
1.竹内太一「土佐料理 司」社長の年齢等プロフィール及び経歴
(1)竹内太一「土佐料理 司」社長の年齢等プロフィール
名前:竹内太一(たけうちたいち)
出身地:高知県高知市
生年月日:1953年8月18日(現在の年齢:65歳)
竹内太一さんは1953年、高知県高知市に竹内家の長男として生まれています。
竹内太一さんには姉と妹がいますから、3人兄弟の2番目になります。
竹内太一さんは生まれたときから、「土佐料理 司」の3代目になることが宿命づけられていたのかもしれません。
(2)「土佐料理 司」の歴史とは
「土佐料理 司」の前身となる料理店「新京橋ねぼけ」を高知市に創業したのは、竹内太一さんの祖父・小松牛次さんで1917年(大正6年)のことでした。
その跡を継いだのが竹内太一さんの父・竹内和夫さんで、1964年(昭和39年)高知市内に「土佐料理 司」を開業しています。
この店名からわかると思いますが、高知県の郷土料理を「土佐料理」と名付けたのは、竹内太一さんの父・竹内和夫さんでした。
そんな竹内太一さんの父・竹内和夫さんは、祖父・小松牛次さんの養子として迎えられていますが、父・竹内和夫さんが最初に開業したのは中華料理店だったと言います。
「土佐料理 司」がその店舗数を拡大させ、急成長を遂げたのは、竹内太一さんの父で2代目社長・竹内和夫さんのときでした。
1969年(昭和44年)に高知市以外の最初の店舗「司」阪急三番街店を大阪に出店すると、1972年(昭和47年)には「祢保希(ねぼけ)」赤坂店を出店して、東京進出を果たしています。
ただ、ずっと順調だったわけではなく、東京進出当初はなかなかうまくいかなかったこともありました。
しかし、メディアに紹介されたことがきっかけとなって、息を吹き返すことができ、その後の店舗数の拡大を続けていきます。
(3)竹内太一「土佐料理 司」社長の経歴 ~実家の家業を継いで、老舗3代目社長へ~
竹内太一さんは地元・高知県高知市の高校を卒業後、一浪して東京の大学に進学しています。
大学進学と同時に、竹内太一さんは家族と共に上京して、「祢保希(ねぼけ)」赤坂店を出店するために建てた自社ビルの最上階に引っ越しています。
竹内太一さんは大学卒業後、実家の家業である「土佐料理 司」を継ぐ気はなく、外資系企業への就職も内定していました。
しかし、意外にも竹内太一さんの母親から「土佐料理 司」を継いでほしいと頼まれます。
この母親からの依頼に対して、竹内太一さんは外資系企業の内定を辞退して、実家の家業である「土佐料理 司」への就職を決断したのです。
そんな竹内太一さんは入社後、調理見習いを経て、1974年に開店した「祢保希(ねぼけ)」新宿店の店長に就任します。
この時の経験から、竹内太一さんは「採用」「仕入れ」等の改革を実施しています。
そんな竹内太一さんは、常務、専務などの要職を経て、1996年に社長に就任します。
なお、「土佐料理 司」は、竹内太一さんが社長に就任する4年前の1992年(平成4年)に社名を「加寿翁(かずおう)コーポレーション」に変更しています。
竹内太一社長はバブル崩壊後に就任したため、課題は山積みでしたが、最初にやるべきことは多額の借金の返済と20店舗まで拡大した店舗のうち、赤字店舗を閉店させることでした。
この課題を見事にクリアしたことにより、業績を回復させた竹内太一社長は看板商品である「土佐料理」を見直すことによって、「土佐料理」のブランド化を徹底しました。
2017年(平成29年)に100周年を迎えた「土佐料理 司」は、2018年(平成30年)「加寿翁(かずおう)コーポレーション」から「土佐料理 司」に社名変更しています。
(4)「土佐料理 司」の店舗一覧
竹内太一さんが社長を務める「土佐料理 司」は、高知、大阪、東京に12店舗を展開しています。
「土佐料理 司」の12店舗はこちらです。
<土佐料理 司>
- 司 高知本店
- 司 高知空港店
- 司 阪急グランドビル店
- 司 梅田茶屋町店
<土佐料理 祢保希(ねぼけ)>
- 祢保希 銀座店
- 祢保希 赤坂店
- 祢保希 丸の内店
- 祢保希 新宿店
- 祢保希 日本橋店
<酔鯨亭(すいげいてい)>
- 酔鯨亭 高知店
<SUIGEI>
- 酒と肴 SUIGEI 大阪店
<ごはん処 司>
- ごはん処 司 阪急三番街店
2.竹内太一「土佐料理 司」社長の学歴(出身高校・大学)は?
「土佐料理 司」社長に就任して以来、「土佐料理」のブランド化を徹底することによって、地域の活性化を図ろうと奮闘している竹内太一社長ですが、どのような学歴をお持ちなのでしょうか。
そこで、ここでは「土佐料理 司」の竹内太一社長の学歴(出身高校・大学)をご紹介します。
竹内太一社長の学歴の中で、明らかになっているのは、明治大学商学部を卒業していることです。
一方、出身小中学校・高校については、明らかになっておりません。
そこで、調べてみると、竹内太一社長の出身小中学校・高校について、次のことが判明しました。
- 出身地である高知市内の小中学校・高校を卒業
- 中高一貫の進学校に入学
- 中学時代は軟式テニス部、高校時代は水泳部に所属
以上のことから、絞り込んだ結果、1校の中学校・高校が浮かび上がりました。
その中学校・高校は、
土佐中学校・高校
したがって、竹内太一「土佐料理 司」社長の出身中学校・高校は、土佐中学校・高校だと推定されます。
竹内太一社長は、明治大学時代はヨット部に所属しており、年間200日は海で合宿をしていたと言いますから、学生時代は体育会系だったようです。
3.竹内太一「土佐料理 司」社長の家族(嫁(妻)、子供)は?
竹内太一「土佐料理 司」社長は結婚しており、嫁(妻)と4人の子供がいます。
なんと子供は4人とも娘なんです。
長女と次女は結婚して子供もいるのですが、2人とも女の子なんです。
要するに、竹内太一社長の子供は4人とも娘で、2人の孫も女の子だということです。
でも、今の時代、男が跡を継がなければならないということではないので、4人の娘さんかその旦那さんの中で、跡を継ぎたいという人に継がせてもいいのではないでしょうか。
いずれにしても、「土佐料理」は残してほしいと思います。
4.まとめ
この記事では、「土佐料理 司」社長・竹内太一さんとはどんな人物なのかを、年齢等経歴、学歴(出身高校・大学)をご紹介することによって、明らかにしました。
「土佐」は高知ということはわかるものの、「土佐料理」という言葉については聞いたことがなかったという人もいたのではないでしょうか。
この「土佐料理」のブランド化により、地域の活性化を図ってきたのが「土佐料理 司」社長の竹内太一さんです。
今回の『カンブリア宮殿』(テレビ東京系)で「土佐料理 司」を知ったという人は、これらの店舗に足を運んでみてはいかがでしょうか。
竹内太一「土佐料理 司」社長の今後益々のご活躍を期待しています。