石原詢子はどんな人?年齢、身長・体重、本名等プロフィール及び経歴

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石原詢子(いしはらじゅんこ)さんをご存知でしょうか。

石原詢子さんは2回のNHK紅白歌合戦出場を誇る実力派演歌歌手であるとともに、美人演歌歌手としても知られています。

そんな石原詢子さんは、昨年(2018年)デビュー30周年を迎え、中野サンプラザホールで「石原詢子30周年記念リサイタル」を行いました

そこで、この記事では石原詢子さんはどんな人なのかを、年齢、身長・体重、本名等プロフィール及び経歴をご紹介することによって、明らかにします

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1.石原詢子の年齢、身長・体重、本名等プロフィール

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名前:石原詢子(いしはらじゅんこ)
(「詢子」の「詢」という字には「まこと」という意味があります)

本名:石原悦子(いしはらえつこ)

生年月日:1968年1月12日(年齢:51歳(2019年5月現在))

出身地:岐阜県揖斐(いび)郡池田町

身長:161cm

体重:40kg台半ば(推定)

血液型:A型

星座:やぎ座

趣味:絵画

特技:詩吟(しぎん)(詩吟揖水流(いすいりゅう)師範代兼「詩舞(しぶ)」「剣舞(けんぶ)」の師範代)

得意料理:コロッケ

好きな本:歴史関係(歴史小説、戦国時代など)、推理小説

好きな食べ物:ラーメン

好きな言葉:初心

レーベル:ソニー・ミュージックダイレクト

所属事務所:石原音楽事務所

2.石原詢子の生い立ちとは?詩吟家元の父親を説得し上京!!

石原詢子さんは、詩吟揖水流(いすいりゅう)家元の長女として生まれています。

そのため、4歳頃から父親から詩吟を習い始めましたが、その指導はとても厳しいものでした。

わずか12歳で師範代となった石原詢子さんでしたが、成長するにつれて、これまでどおり父親の言うとおりに詩吟をやっていくことに疑問を抱くようになります。

そのような思いを抱えるようになった石原詢子さんは、父親の元から離れるために家を出たいと考えるようになりました。

そんな石原詢子さんが憧れたのが、「津軽海峡・冬景色」等で知られる石川さゆりさんでした。

石川さゆりさんの影響を受け、「歌手になりたい」と思うようになった石原詢子さんがやらなければならなかったのが、必ず反対するであろう父親を説得することでした。

そこで、石原詢子さんは高校卒業後上京するための準備を始めると同時に、父親への説得を始めたのです。

その甲斐あってようやく父親を説得することに成功した石原詢子さんでしたが、厳しい条件が課せられました。

その条件とは、

  1. 自活すること
  2. 新聞配達すること
  3. 毎日実家に電話すること

の3点でした。

この条件で2年間がんばってみて、ダメだったら実家に帰るよう父親に言われた石原詢子さんでしたが、上京して歌手を目指せることが嬉しくしょうがなかったようです。

3.石原詢子は上京後、下積みを経てついに歌手デビュー!!

歌手を目指し上京した石原詢子さんは、超多忙な生活を送っていたものの、充実していました。

新聞配達だけでなく別のアルバイトもこなしながら、ボイストレーニングやダンス、演技などのレッスンを受け、歌手という夢を追い続けました。

努力が実ったのか、思わぬ形で石原詢子さんに歌手デビューのチャンスが訪れます。

石原詢子さんがレッスンを受けていたボイストレーナーが、レコード会社とマネジメント会社を紹介してくれたのです。

そして、石原詢子さんは1988年10月にデビュー曲「ホレました」でデビューします。

しかし、石原詢子さんの歌手デビューは、輝かしい未来への幕開けではなく、苦難の始まりだったのです。

歌手デビューしたものの、CDの売上が伸びなかった石原詢子さんは、全国のカラオケスナックやカラオケ喫茶を回り、歌を歌ってはCD等を売って歩くという地道な営業をする日々が続きました。

しかし、そんな石原詢子さんにもついにチャンスが訪れます。

4.石原詢子、両親の死を乗り越えNHK紅白歌合戦初出場!!

1994年9月にリリースされた、石原詢子さんの7枚目シングル「三日月情話」が、第27回日本作詩大賞・優秀作品賞を受賞したのを機に翌1995年8月に発売された8枚目シングル「夕霧海峡」が大ヒットを記録しました。

やっと石原詢子さんのこれまでの苦労が報われたと思われましたが、その矢先、石原詢子さんに思わぬ不幸が訪れます。

約2週間の間に、田舎の両親が相次いで亡くなってしまったのです。

ちょうど8枚目シングル「夕霧海峡」がリリースされた1995年8月2日前後のことでした。

しかし、両親が亡くなったからといって、立ち止まるわけにはいかなかった石原詢子さんは、その悲しみを忘れるために仕事に没頭します。

8枚目シングル「夕霧海峡」の大ヒットにより、徐々に知名度が上がり始めた石原詢子さんは、NHK『どんとこい民謡』(司会)やNHKのバラエティ番組『コメディーお江戸でござる』などテレビにも出演するようになりました。

1999年4月にリリースされた石原詢子さんの12枚目シングル「みれん酒」がロングヒットを記録し、第32回日本有線大賞・有線音楽賞を受賞すると、石原詢子さんは翌2000年の第51回NHK紅白歌合戦に念願の初出場を果たします。

石原詢子さんは17枚目シングル「ふたり傘」で、2003年の第54回NHK紅白歌合戦に2回目の出場を果たしましたが、それ以来出場していません。

2007年5月、石原詢子さんは岐阜県の「飛騨・美濃観光大使」第1号に就任しています。

5.まとめ

この記事では、石原詢子さんはどんな人なのかを、年齢、身長・体重、本名等プロフィール及び経歴をご紹介することによって、明らかにしてきました

石原詢子さんは、詩吟揖水流(いすいりゅう)家元の長女として生まれましたが、歌手という自分の夢を追いかけるため、上京して、見事に歌手デビュー。

しかし、デビュー曲は思うように売れなかったため、再び下積み生活に逆戻り。

それでも、地道な営業活動を続けた石原詢子さんは、デビュー以来苦節6年目にして、8枚目シングル「夕霧海峡」が大ヒット。

その矢先、両親が相次いで亡くなるという不幸に襲われますが、その後も努力を続けた石原詢子さんは、2000年の第51回NHK紅白歌合戦に念願の初出場を果たしました。

2003年の第54回NHK紅白歌合戦に2回目の出場を果たした石原詢子さんですが、それ以来出場していません。

石原詢子さんのNHK紅白歌合戦への3回目の出場をお祈りするとともに、今後更なるご活躍を期待しています。

山内惠介はどんな人?身長・体重、高校等経歴、結婚は?彼女はいるの?実家の家族、両親(父親・母親)、兄弟は?【祝・紅白歌合戦2016・2年連続出場】

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山内惠介(やまうちけいすけ)さんといえば、演歌界きってのイケメンとして知られており、昨年に続き、2016年NHK紅白歌合戦への2年連続2回目の出場が決まっています

山内惠介さんは、白組の4番手として、『流転の波止場~究極の貴公子編~』という曲目で出場し、対戦相手は人気女性シンガーソングライターのmiwaさんです。

同じく昨年に続き、2回目の出場の演歌歌手・三山ひろしさんが、『四万十川~けん玉大使編~』という曲目で、白組3番手で出場することから対抗しているようですね。

「演歌界の貴公子」「演歌界のプリンス」などと呼ばれている山内惠介さんですが、今回の2016年NHK紅白歌合戦では、「究極の貴公子編」とありますから、期待は高まるばかりです。

そんな山内惠介さんは、高校3年生の時にデビューし、15年目の昨年、2015年NHK紅白歌合戦への初出場を果たした苦労人です。

また、イケメンでありながら、親しみやすい人柄で、誰に対しても分け隔てなく、丁寧に接する態度に好感が持てるところが、山内惠介さんの人気の秘密です。

この記事では、山内惠介はどんな人なのかを、身長・体重、高校等経歴、結婚しているのか、彼女はいるのか、実家の家族、両親(父親・母親)はどんな人で、兄弟はいるのかについてご紹介することによって、明らかにしていきたいと思います。

1.山内惠介はどんな人?身長・体重、高校等プロフィール及び経歴

名前:山内惠介(やまうちけいすけ)

本名:山内惠介(やまうちけいすけ)

生年月日:1983年5月31日(現在33歳)

出身地:福岡県糸島郡前原町(まえばるまち、前原市 → 現在の糸島市)

身長:178cm

体重:58kg

血液型:O型

星座:ふたご座

出身高校:福岡県立筑前高校(福岡市)

レーベル:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント

所属事務所:三井エージェンシー

(1)山内惠介の生い立ち、地元でスカウトされデビューするもなかなか売れずに挫折

美空ひばりさんの大ファンであった母親が、山内惠介さんがお腹の中にいた頃から、美空ひばりさんの曲を聴いており、幼い頃から母親に美空ひばりさんのコンサートに連れられていたそうです。

そのため、山内惠介さんは自然と歌手になりたいと思うようになり、小学生の頃から演歌ばかり聴いていました。

そんな山内惠介さんが歌手になるチャンスは、想像以上に早く訪れます。

山内惠介さんが16歳の高校1年生だった1999年10月、地元福岡県内で行われたカラオケ大会に初めて出場したときに、思いがけず大物作曲家の水森英夫(みずもりひでお)さんにスカウトされます。

これ以後、山内惠介さんは水森英夫さんの門下生となり、月1回のペースでレッスンを受けるため、地元福岡県から上京するようになると、とんとん拍子に話が進み、スカウトされてから1年も経たないうちに、演歌歌手としてデビューすることが決まります。

そして、ついに2001年4月、当時18歳の高校3年生ながら、ファーストシングル『霧情』で演歌歌手デビューを果たします。

当時のキャッチフレーズは、「ぼくはエンカな高校生」でした。

前年には、同じ水森英夫さんの門下生で先輩の氷川きよしさんが、『箱根八里の半次郎』でデビューして、大ヒットを記録し、日本レコード大賞・最優秀新人賞を受賞するなど、その年の新人賞を総なめにし、NHK紅白歌合戦に初出場を果たしていました。

そのため、氷川きよしさんに続けとばかりに意気込み、期待されていた山内惠介さんでしたが、デビュー曲はオリコン週間ランキングでトップ100入りはしたものの、期待された結果には結びつきませんでした。

その後、2009年9月に『風蓮湖』をリリースするまで、山内惠介さんは苦悩することになります

(2)山内惠介初のご当地ソング『風蓮湖』がロングヒット ~ 北海道でブレイク後、全国で大ブレイクし、2015年NHK紅白歌合戦初出場へ

山内惠介さんの転機となったのは、2008年12月に放送された『NHK歌謡コンサート』において、北川大介(きたがわだいすけ)さん、竹島宏(たけしまひろし)さんとともに演歌ユニットを結成したことでした。

というのは、それ以降、山内惠介さんたち3人は一躍注目を浴びる存在となり、3人それぞれのCDシングルの売上が伸びるという現象が起こったからです。

2009年3月に「イケメン3」と名付けられると、人気はさらに過熱し結成から1年後の同年12月には、「イケメン3」によるオリジナル曲『恋の摩天楼』でメジャーデビューを果たすとともに、『イケメン3ファースト写真集』(学研パブリッシング)を発売するに至りました。

その勢いに乗り、2009年9月にリリースした、山内惠介さんの10枚目シングル『風蓮湖』がオリコン週間ランキングにおいて、50週を超えるランクインを果たし、初の10万枚超えの大ヒットを記録しました。

『風蓮湖』は山内惠介さん初の、北海道の根室半島に位置する風蓮湖を舞台にした「ご当地ソング」となっており、北海道における山内惠介さんの人気は爆発しました

その後も、北海道において、多くのラジオやテレビなどメディアへの露出が増えていった山内惠介さんは、11枚目シングル『白樺の誓い』、14thシングル『釧路空港』と北海道のご当地ソングをリリースしています。

このような流れから、この頃から山内惠介さんのNHK紅白歌合戦への出場が期待されていたようですが、叶うことはありませんでした。

また、北海道のご当地ソングでブレイクしたことから、2010年5月には『風蓮湖』の地元である北海道根室市の「味覚観光大使」、2013年5月には『釧路空港』を歌っていることから、「釧路空港宣伝特使」に相次いで任命されました。

一方、北海道での山内惠介さんの人気ぶりに危機感を感じたのか、2010年7月に山内惠介さんの出身地である糸島市からの依頼により、「糸島ふるさと大使」にも就任しました。

CDシングルの売上が伸びるにつれて、人気が上昇し始めると、驚いたことに、2014年1月公開の「山内惠介・THE歌謡ムービー 昭和歌謡危機一髪!」で映画初出演にして初主演を果たします

北海道での大ブレイクを果たした山内惠介さんでしたが、その後は全国での地道なキャンペーンを通じて、北海道から全国に人気は広がっていきましたが、これはひとえにイケメンでありながらも、山内惠介さんの人柄の良さとファンへの丁寧な神対応によるものです。

15枚目シングル『恋の手本』は、オリコン週間ランキングで9位を記録し、自身初のトップ10入りを果たすと、16枚目シングル『スポットライト』でも安定した売上を記録し、2015年の日本レコード大賞で日本作曲家協会選奨を受賞し、ついに、2015年NHK紅白歌合戦に悲願の初出場を決め、大ブレイクを果たしました。

2.山内惠介は結婚しているの?彼女はいる?

山内惠介さんは誰もが認める超イケメンで現在33歳ですから、結婚して子供がいてもおかしくありません。

しかし、現在独身のようです。

「演歌界の貴公子」と呼ばれる山内惠介さんにとって、独身であるということは大きな武器なのかもしれません。

逆に、今後結婚すると発表したときには、多少のファン離れも覚悟しなければならないですし、山内惠介さんの演歌歌手としての人気にも影響する可能性がありますから、結婚するとしても慎重にならざるを得ないでしょう。

そんな山内惠介さんには、現在彼女はいるのでしょうか

山内惠介さんのファンならずとも、気になるところですよね。

調べてみたところ、彼女ではないかと噂される1人の女性の存在が浮かび上がりました

その女性とは、山内惠介さんの所属事務所・三井エージェンシーの三井健生(みついけんせい)社長の御令嬢・三井悠加(みついゆうか)さんです。

三井健生社長は、山内惠介さんの師匠である水森英夫さんの実の兄であることから、水森英夫さんにとって三井悠加さんは、実の姪に当たります。

三井悠加さんは現在33歳で、山内惠介さんとは同学年でしょうか。

三井悠加さんは三井エージェンシーの社長令嬢というだけでなく、同事務所の業務にも深く関わっています。

2003年から三井エージェンシーに所属していた歌手・夏川りみさんのマネージャーを務めたあと、2007年からは山内惠介さんのマネジメントを長きにわたって担当していました。

したがって、三井悠加さんは山内惠介さんの苦しかった時代を支え、演歌歌手として成功するまで共にがんばってきた同志と言える存在です。

そんな三井悠加さんと山内惠介さんのツーショット写真が、こちらです。

出典:https://ryukyushimpo.jp/

三井悠加さんは、山内惠介さんにとってそういう関係の女性です。

山内惠介さんと三井悠加さんのツーショット写真を見る限り、美男美女のカップルのような印象があることから、三井悠加さんは山内惠介さんの彼女という噂があるのだと思います。

ただ、三井悠加さんは現在、2014年に設立された三井エージェンシーのロサンゼルス支社である三井エージェンシー・インターナショナルの社長兼CEOを務めています。

そのため、山内惠介さんの彼女が三井悠加さんだとしたら、遠距離恋愛ということになります。

しかし、日本とロサンゼルスの遠距離恋愛は現実的には難しいと思われますし、2人が会う機会もほとんどないと思われることから、山内惠介さんの彼女が三井悠加さんという可能性は低いと思います。

3.山内惠介の実家の家族、両親(父親・母親)はどんな人?兄弟はいるの?

山内惠介さんの実家は、現在も生まれ故郷である福岡県糸島市にあります。

山内惠介さんの兄弟ですが、年の離れた2人の兄がいることから、山内惠介さんは3人兄弟の末っ子ということになります。

したがって、山内惠介さんの家族は、父親・母親の両親と3人兄弟の5人家族です。

しかし、山内惠介さんは自身のご家族については、ほとんど語ったことがなかったようです。

それには訳があって、山内惠介さんは高校3年生の時にデビューしていることから、若くして親元を離れています。

上京後、デビューした当時は、実家の両親に連絡を取っていたようですが、その後停滞期に陥ると、所属事務所から非情な指示を受けたのです。

それは、実家の両親と連絡を絶つという指示でした

山内惠介さんの「心の甘えをなくす」という意図があったのだろうと思いますが、この指示はあまりにも非情だったように思います。

結果的に、山内惠介さんは大人気の演歌歌手として成功しましたが、実家の両親と連絡を絶ち、距離を置くようになってからは、実家の両親との関係もぎくしゃくしたりして、本当につらかったろうと思います。

実際、実家の両親と連絡を絶って以来、その姿勢は徹底していたようで、地元の福岡県にキャンペーンなどの仕事で訪れた際にも、山内惠介さんの両親は会場には訪れたものの、会わずに会場を後にしていたようです。

こういうエピソードを聞くと、山内惠介さんだけでなく、山内惠介さんのご両親もさぞかしつらく寂しかったろうと思います。

山内惠介さんは、テレビ朝日系『徹子の部屋』に出演したときに、母親から手紙をもらったことがありましたが、その手紙の内容からは、母親の息子・山内惠介さんに対する深い愛情が感じられるとともに、連絡を絶っていたときのつらさや寂しさが感じられました。

4.まとめ

この記事では、山内惠介はどんな人なのかを、身長・体重、高校等経歴、結婚しているのか、彼女はいるのか、実家の家族、両親(父親・母親)はどんな人で、兄弟はいるのかについてご紹介することによって、明らかにしてきました。

いまや演歌界きってのイケメン歌手として、「演歌界の貴公子」とまで言われるようになり、NHK紅白歌合戦に2年連続の出場権を獲得した山内惠介さんですが、ここまで来るには数多くのつらいことや苦労があったということがおわかりいただけたのではないでしょうか。

歌が上手いとか、イケメンだからというだけでは、演歌歌手として成功することは難しいということなんでしょうね。

しかし、最近のテレビなどで活躍している山内惠介さんを見ていると、人柄の良さが画面からも伝わってきますし、男から見てもつくづくイケメンだなぁと思います。

一般的に演歌のファンは中高年の方が多いのですが、山内惠介さんのファンは中高年の女性だけでなく、20~30代の女性が増えていると言います。

これだけでも山内惠介さんの演歌界での貢献度は高いと思いますが、これからも演歌界のファン層を広げるために大事な役割を果たしていってほしいと思います。

山内惠介さんの2016年NHK紅白歌合戦での歌唱を楽しみにしているとともに、今後更なるご活躍を期待しています。

市川由紀乃って、どんな人?本名、年齢、身長、体重、出身小中学校、高校等経歴、結婚しているの?彼氏は?家族、両親(父母)、兄弟は?【祝・紅白初出場!】

出典:http://cherrychan.exblog.jp/

2016年も師走を迎え、NHK紅白歌合戦の季節がやってきました。

2016年11月24日、第67回NHK紅白歌合戦の出場歌手46組が発表されました。

出場歌手全46組の中で初出場を決めたのは、PUFFY(パフィー)、KinKi Kids(キンキキッズ)など10組となりましたが、女性演歌歌手としては、水森かおりさん以来13年ぶりの初出場を果たしたのが、市川由紀乃さんです。

市川由紀乃さんは、デビュー以来、NHK紅白歌合戦出場を目標にしてきましたが、決して容易なことではなく、これまで多くの挫折を経験し、デビュー23年目にして、ついにNHK紅白歌合戦初出場を果たしました。

この記事では、市川由紀乃さんって、どんな人なのかを、本名、年齢、身長、体重等経歴、出身小中学校、高校はどこか、結婚しているのか、彼氏はいるのか、家族、両親(父母)はどんな人で、兄弟はいるのかについて、ご紹介することによって、明らかにしていきたいと思います。

1.市川由紀乃って、どんな人?本名、年齢、身長、体重等プロフィール及び経歴

名前:市川由紀乃(いちかわゆきの)

本名:松村真利(まつむらまり)

生年月日:1976年1月8日(年齢:42歳(2018年1月現在))

出身地:埼玉県さいたま市(旧・浦和市)

身長:170.5cm

体重:50kg代前後(推定)

血液型:A型

星座:やぎ座

趣味:妄想

尊敬する人:長嶋茂雄

好きな映画:『箱入り息子の恋』(2013年6月8日公開の市井昌秀(いちいまさひで)監督作品で、星野源(ほしのげん)さん主演)

好きな花:なでしこ、サクラソウ

レーベル:テイチク(1993年~1998年) → キングレコード(1998年~)

所属事務所:プライム

2.市川由紀乃、歌手デビュー ~ 燃え尽き症候群により歌手活動休止へ

市川由紀乃さんは、16歳の高校生のときに参加した、埼玉新聞社主催のカラオケ大会で優勝したときに、現在の事務所からスカウトされ、この時のカラオケ大会の審査員だった作曲家の市川昭介(いちかわしょうすけ)さんの門下に入ります。

師匠である市川昭介さんから「市川」という苗字をもらい、市川由紀乃として、1993年8月21日に『おんなの祭り』でデビューします。

デビュー当時、市川由紀乃さんは17歳という若さでした。

翌1994年には、テレビ東京系列主催「第13回メガロポリス歌謡祭」新人賞、「第26回新宿音楽祭」新人賞を受賞すると、1996年には、「第6回NHK新人歌謡コンテスト」優秀賞を受賞するなど、順調な歌手人生をスタートしました。

1998年1月21日には、デビュー5周年を記念した曲『花乱舞』をリリースします。

同年10月には、それまでのレーベルだったテイチクからキングレコードに移籍し、同年10月21日に『一度でいいから』をリリースします。

2001年4月からは、文化放送のラジオ番組『走れ!歌謡曲』で、初のパーソナリティーを務めることになり、1年間の長きにわたって、ラジオパーソナリティーを務めました。

しかし、市川由紀乃さんに異変が起こります。

ある日、いわゆる燃え尽き症候群といわれる症状に陥り、「こんな気持ちではステージに立てない」という思いに至ったため、2002年4月から歌手活動を休止することになりました。

市川由紀乃さんは、休止期間中、天ぷら専門店「新宿つな八」でアルバイトをしていたそうです。

3.市川由紀乃、不死鳥のごとく復活し、NHK紅白歌合戦初出場へ!!

引退も覚悟していた市川由紀乃さんでしたが、師匠の市川昭介さんの後押しもあり、2006年に歌手に復帰することを決断し、2006年10月25日に『海峡出船』をリリースしました。

歌手活動の休止期間は4年半にも及び、実に5年ぶりの新曲となりました。

この曲のレコーディングに立ち会った師匠の市川昭介さんは、デビュー直前の同年9月26日に、73歳で亡くなっています。

なんとか復帰を果たした市川由紀乃さんは、新曲『海峡出船』の発売と同時に、公式ブログ『市川由紀乃ぶろぐ』を立ち上げるなど、精力的に活動します。

2009年4月1日には、ファンクラブ「市川由紀乃ふぁんくらぶ」を発足します。

すると、徐々に、シングル曲の売上枚数が伸び始め、『海峡岬』(2014年9月3日リリース)、『命咲かせて』(2015年4月22日リリース)、『心かさねて』(2016年4月20日リリース)と曲がヒットし始めます。

この状況を証明するかのように、2014年の第56回日本レコード大賞では、日本作曲家協会奨励賞を受賞しました。

そして、2016年7月に「福島県国見町の応援大使」に就任すると、同年11月、デビュー以来の悲願だった第67回NHK紅白歌合戦に初出場することが決定しました。

4.市川由紀乃の出身小中学校、高校はどこ?

市川由紀乃さんの出身小中学校、高校については、非公開となっています。

しかし、出身小学校については、浦和市立本太(もとぶと)小学校(現・さいたま市立本太小学校)だということがわかりました。

市川由紀乃さんは、2015年4月28日付けの自身のオフィシャルブログで、「同じ中学校出身!」というタイトルで、TBSラジオ『Fine!!(ファイン)』に出演したことを報告した際、その番組のパーソナリティーを務めているフリーアナウンサーの池田めぐみさんが、同じ中学校出身だったことを明かしており、浦和あるある話で盛り上がったことも明かしています。

また、市川由紀乃さんは、中学1年生の1学期まで埼玉県浦和市で過ごしていましたが、両親が離婚したため、どうやら引っ越したようです。

そのため、中学校の転校を余儀なくされたようですが、どこに引っ越したのかは、わかりません。

したがって、市川由紀乃さんの出身中学校は、わかりませんでした。

市川由紀乃さんは、16歳の高校生の時にスカウトされ、17歳で歌手デビューしていますが、その時、高校は中退したようです。

1993年のことですが、歌手デビューするにしても、高校くらいは卒業させてあげてもよかったような気がしますが、どうだったのでしょうか。

5.市川由紀乃は、結婚しているの?彼氏はいるの?

170cmを超える長身で、モデルさんのようなスタイルを持ち、40歳とは思えないような美人でもある市川由紀乃さんですので、結婚して、子供がいても、不思議ではないですが、現在独身のようです。

市川由紀乃さん自身は、「今は仕事が楽しく、紅白出場の夢があるので…」と語っていましたが、ついにNHK紅白歌合戦出場の夢が叶いました。

ということは、来年の目標は、結婚して、子供を授かることでしょうか。

市川由紀乃さんのような美魔女であれば、結婚しようと思えば、いくらでもできると思うので、良い報告を期待しています。

6.市川由紀乃の家族、両親(父母)はどんな人で、兄弟はいるのか?

市川由紀乃さんは、埼玉県浦和市で生まれ育ち、歌うことが大好きな少女でしたが、中学1年生の時に、両親が離婚し、市川由紀乃さんは兄とともに、母親に引き取られました。

市川由紀乃さんには8歳年上の兄がいますが、脳性麻痺の障害を抱えており、女手ひとつで、2人の子供を育てた母親の苦労は、並大抵のことではなかったに違いありません。

そんな母親に「一戸建ての家をプレゼントしたい」という思いや親孝行したい一心で、市川由紀乃さんは、がんばってきたそうです。

また、市川由紀乃さんは、障害を抱えた兄のためにも、紅白出場を目指して、歌手活動を続けていましたが、その兄は残念ながら、2008年に亡くなっています。

7.まとめ

いかがでしたでしょうか。

この記事では、市川由紀乃さんって、どんな人なのかを、本名、年齢、身長、体重等経歴、出身小中学校、高校はどこか、結婚しているのか、彼氏はいるのか、家族、両親(父母)はどんな人で、兄弟はいるのかについて、ご紹介することによって、明らかにしてきました。

市川由紀乃さんは、ついに長年の夢であるNHK紅白歌合戦初出場を成し遂げたわけですが、決して、知名度が高いわけではありません。

市川由紀乃さんのことを知らない人は、日本全国にいっぱいいると思います。

そんな市川由紀乃さんにとって、NHK紅白歌合戦に初出場することは、知名度を一気に上げるためには、千載一遇(せんざいいちぐう)の大きなチャンスです。

市川由紀乃さんには、NHK紅白歌合戦の本番で、一生懸命歌ってほしいと思います。