坂口杏里さんといえば、2013年3月に母・坂口良子さんを亡くし、2015年6月には、交際していた「バイきんぐ」の小峠英二(ことうげえいじ)さんと破局してから、最近テレビでも見かけなくなっていました。
そんな坂口杏里さんが、セクシー女優に転身し、10月にもDVDがリリースされると報じられました。
坂口杏里さんは、母親譲りの美貌の持ち主であり、バラエティ番組でも良い味出していたので、ショックが大きいです。
そこで、この記事では、坂口杏里って、どんな人なのかを、身長、体重、出身小中学校、高校等経歴、母の急死と継父との関係はどのようなもので、兄と実父はどんな人なのか、小峠英二との破局について、ご紹介することによって、明らかにしていきたいと思います。
目次
坂口杏里って、どんな人?身長、体重、出身小中学校、高校等経歴とは?
名前:坂口杏里(さかぐちあんり)
生年月日:1991年3月3日(現在25歳)
出身地:東京都
身長:168cm
体重:43kg
血液型:B型
スリーサイズ:B80-W59-H88cm
足のサイズ:24.5cm
星座:うお座
趣味:おしゃべり、メールを打つこと
好きな食べ物:ショートケーキ
プロレスが大好きで、好きな男性のタイプは、プロレスラーだといいます。
「DRAGON GATE(ドラゴン・ゲート)」(兵庫県を中心に活動するプロレス団体)が特に好きなんだそうです。
出身幼稚園:松濤(しょうとう)幼稚園(渋谷区松濤、2010年3月に閉園しています。)
出身小学校:成城学園初等学校
出身中学校:成城学園中学校
出身高校:堀越高校
2008年頃に芸能界入りしてからは、主にバラエティー番組を中心に活動しており、亡き母・坂口良子(さかぐちりょうこ)さんとともに『踊る!さんま御殿!!』『ダウンタウンDX』などのバラエティー番組で親子共演することも多く、2世タレントとして活躍しました。
また、継父の尾崎健夫(おざきたてお)さんとも、『踊る!さんま御殿!!』で親子共演したことがあり、天然・おバカキャラとしても活躍しました。
2014年4月25日には、「モーニング娘。に入りたくて、芸能界に入った坂口杏里です」とツイッターで、つんく♂さんにメッセージを送って、モーニング娘。に憧れていたことを明かしています。
2008年11月公開の映画『トワイライトファイルV/Famille ファミーユ~フランスパンと私~』で女優デビューしました。
2014年9月に公開された映画『ハニー・フラッパーズ』では、映画初主演を果たし、キャバ嬢を演じました。
2015年6月には、六三四第1回本公演『刀神姫抄-TOUZINKIISHO-』で舞台にも挑戦し、子供を持つ母親の役を熱演しました。
2016年3月に、所属事務所アヴィラを退社しており、アヴィラは、「自ら申し出たもので、理由は分からない」としています。
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坂口杏里の母・坂口良子の急死を巡る継父との関係とは?
こちらは、母・坂口良子さんの若い頃の画像です。
坂口杏里さんの母・坂口良子(さかぐちりょうこ)さんは、1955年10月23日生まれ、北海道余市郡余市町出身、血液型O型、余市町立東中学校、小樽双葉女子学園(現・双葉)高校 → 堀越学園高校卒業、1971年、ミス・セブンティーンコンテストで優勝したことをきっかけに、芸能界デビューした女優さんです。
女優として、数多くのドラマや映画に出演していますが、代表作は、1980年4月から放送開始された日本テレビ系連続ドラマ『池中玄太80キロ』だと思います。
この時、坂口良子さんは、25歳の女盛りで、とても魅力的な女性を演じました。
坂口杏里さんの母・坂口良子さんは、1986年に不動産会社役員の男性と結婚し、長男、長女である坂口杏里さんをもうけましたが、1994年、坂口杏里さんが3歳の時に離婚しています。
離婚の際、バブル崩壊で40億円もの借金を背負っていた夫の連帯保証人だったことから、坂口良子さんも夫の借金を背負うことになってしまいました。
それからは、借金返済のため、仕事中心の生活を送り、子供たちには寂しい思いをさせたといいます。
1998年、プロゴルファーの尾崎健夫さんと知り合い、14年にもわたって、事実婚状態でしたが、2012年8月に、ようやく結婚しました。
しかし、結婚からわずか7か月後の2013年3月27日未明、坂口杏里さんの母・坂口良子さんは、大腸がん及び肺炎のため、急死しました。
坂口良子さん急死のニュースを聞いたときは、本当に自分の耳を疑いました。
坂口良子さんの娘である坂口杏里さんも、母・坂口良子さんが亡くなる2日前まで、病状をまったく知らされていなかったそうです。
継父である尾崎健夫さんは、坂口良子さんの病状を、坂口杏里さんのためを思い、心配かけまいと、隠していたのだそうです。
これには、坂口杏里さんは、怒り狂ったのだそうです。
確かに、この当時、坂口杏里さんは21歳の大人でしたから、余命を隠されるのは、納得できなかったんじゃないでしょうか。
このため、母・坂口良子さんの死後、継父・尾崎健夫さんと娘・坂口杏里さんの間には、軋轢が生じていましたが、母・坂口良子さんと継父・尾崎健夫さんの優しさを少しずつ理解した坂口杏里さんは、仲直りしたそうです。
実父の名前と再会
坂口杏里さんは、実の父親とは、坂口杏里さんが3歳の時に離婚してから、まったく会っていなかったそうですし、バブル崩壊による40億円もの借金の一部を母・坂口良子さんに背負わせ、苦しめた相手ですから、会いたいとも思っていなかったようです。
ちなみに、坂口杏里さんの実の父親の名前は、田山恒彦さんだそうです。
2015年、どういう経緯があったのかは、わかりませんが、坂口杏里さんの実の父・田山恒彦さんが、「がん」であると聞いた坂口杏里さんは、実父と会うことを決断し、実際に会ったようです。
そして、実の両親がいたから、自分はこの世に生まれてくることができたと感謝することができるようになったそうです。
その後、坂口杏里さんの実父・田山恒彦さんが、どうなったのかは、わかりませんでした。
坂口杏里の兄の名前と大学・職業とは?【画像あり】
坂口杏里さんには、2歳年上の兄が1人いて、画像はこちらです。
出典:http://xn--koy72w7kbiylz7b.jp/
その兄の名前は、坂口直彦さんで、慶應大学医学部を卒業後、医者として働いているそうです。
坂口杏里さんのおバカっぷりとは、正反対の学力レベルですね。
坂口杏里さんの兄・坂口直彦さんのことについては、次の記事に詳しくまとめてありますので、読んでいただけるとうれしいです。
→ 坂口杏里の兄・坂口直彦は、慶應大学出身の医者って、本当?【画像あり】妹・坂口杏里と家族との関係とは?
坂口杏里と小峠英二との交際・破局について
坂口杏里さんと小峠英二さんは、2014年10月に水族館デートをフライデーされたようですが、交際をスタートさせたのは、その年の12月だったそうです。
2人はバラエティ番組での共演で知り合い、交際に発展したのだそうです。
そんな小峠英二(ことうげえいじ)さんは、1976年6月6日生まれの現在40歳で、福岡県田川郡大任町(おおとうまち)出身、身長170cm、血液型O型の「SMA NEET Project」所属のお笑い芸人であり、お笑いコンビ「バイきんぐ」のツッコミ担当です。
坂口杏里さんと小峠英二さんは15歳差カップルだったんですね。
この2人の交際は、大きな話題になりましたが、2015年6月末に破局していることから、わずか半年の交際期間だったようです。
あれだけ話題になっていた2人だったのに、どうしてこんなスピード破局になってしまったかというと、2人の価値観、特に金銭感覚がまるで違っていたからのようです。
小峠英二さんが、手堅く貯金して、支出を厳密に管理するタイプであるのに対して、坂口杏里さんは、ホストクラブの常連らしく、この頃から、金遣いが荒かったようです。
こんなに金銭感覚が違う2人がつき合えるわけないですよね。
まとめ
坂口杏里さんにとって、母・坂口良子さんと彼氏だった小峠英二さんの存在は、かなり大きなものだったに違いありません。
母・坂口良子さんを亡くし、彼氏だった小峠英二さんを別れたあとに、ホストで散財して、母の遺産を使い尽くし、借金を抱えるようになってしまったという噂です。
この記事では、坂口杏里って、どんな人なのかを、身長、体重、出身小中学校、高校等経歴、母の急死と継父との関係はどのようなもので、兄と実父はどんな人なのか、小峠英二との破局について、ご紹介することによって、明らかにしてきました。
もし、坂口杏里さんが、本当にセクシー女優に転身するのだとしたら、この仕事を通じて、芸能界において、大きくステップアップしてもらいたいと思います。
坂口杏里さんの今後更なるご活躍を期待しています。
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