上白石萌音の出身高校・大学や家族を調査!妹は上白石萌歌!両親(父親・母親)はどんな人?

上白石萌音 家族

上白石萌音 家族

出典:https://ameblo.jp/

上白石萌音(かみしらいしもね)さんといえば、女優としてはもちろん、歌手、声優、ナレーションなど幅広く活躍しています。

そんな仕事では順風満帆な上白石萌音さんですが、プライベートでは大学に在学中です。

また、妹は上白石萌歌(かみしらいしもか)さんで姉妹揃って、ドラマや映画で大活躍していますが、上白石萌音・萌歌姉妹は、2011年に行われた第7回『東宝「シンデレラ」オーディション』をきっかけに芸能界入りしています。

こんな才能溢れる姉妹を育てた両親とは、どんな人なのでしょうか?

そこで、この記事では上白石萌音さんの出身高校・大学を調査した結果をご紹介すると共に、家族である妹の上白石萌歌さんや両親(父親・母親)はどんな人なのかをご紹介します。

1.上白石萌音の出身高校はどこか?

上白石萌音さんは、中学1年生のときに芸能界入りしていますが、中学校を卒業するまでは、地元の鹿児島県鹿児島市の中学校に通いながら、週末に仕事のために上京するという生活を送っていました。

2013年3月に地元の中学校を卒業した上白石萌音さんは、上京して、普通科の高校に進学しています。

しかし、上白石萌音さんの出身高校については、都内の普通科の高校ということ以外は公表されておりません。

そこで、調べてみたところ、芸能コースのある日出高校と堀越高校のどちらかの可能性が高いようですが、どちらの高校出身かは定かではありません

2.上白石萌音が、現在通っている大学はどこか?

上白石萌音さんは、2016年3月に高校を卒業し、大学に進学しています。

現在22歳の上白石萌音さんは大学4年生だと推定されることから、2020年3月に大学を卒業予定だと思われます。

そこで、上白石萌音さんが現在通っている大学はどこかについて、調べてみました。

上白石萌音さんの公式プロフィールによると、「学歴」欄には「大学在学中」と記載されていることから、どこの大学に通っているのかは公表されておりません。

調べてみると、青山学院大学と明治大学のどちらかの大学に、上白石萌音さんが通っている可能性が高いことがわかりました。

上白石萌音さんが通っている大学を知る上で手がかりになるのが、2016年に行われた大学・短大(短期大学)・専門学校の情報サイト『進路ナビ』のインタビューです。

このインタビューにおいて、上白石萌音さんは、次のように語っています。

大学では、英語教育に力を入れている学部に所属していて、週に8コマも英語の授業があるため、英語漬けの日々を送っています。この前も英語でプレゼンテーションを行いましたし、翻訳の授業なども取っているんですよ。

必修科目が多いため、週5日きちんと大学に通っています。でも、本当にマルチにいろいろなことができる学部ですので、毎日がとても楽しいです。

できることなら留学もしたい、と思っています。やはり本場で英語を学んでみたいですしね。

更に、読売新聞の上白石萌音さんについての記述の中に、都内の私立大学において、舞台芸術論や日本映画史などを学んでいますとあります。

これらの発言や記述から、上白石萌音さんが通っている大学は、都内の私立大学で、英語教育に力を入れている学部に所属しており、舞台芸術論や日本映画史などを学ぶことができる大学ということになります。

都内で英語に力を入れている大学・学部は、たくさんありますが、加えて舞台芸術論や日本映画史を学ぶことができる大学・学部となると、おそらく明治大学国際日本学部だと思われます

3.上白石萌音の妹は女優・上白石萌歌!!

上白石萌音 上白石萌歌

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上白石萌歌さんは、2011年の第7回『東宝「シンデレラ」オーディション』において、44,120人の中から頂点に立ち、グランプリとなりました。

一方、姉の上白石萌音さんも審査員特別賞を受賞してします。

10歳の小学5年生でのグランプリは、史上最年少という快挙でした。

同年、ファッション雑誌『ピチレモン』の専属モデルとなり、2011年9月号から登場しました。

上白石萌歌(かみしらいしもか)さんは、2000年2月28日生まれの現在19歳で、鹿児島県鹿児島市出身、身長163cm、趣味は、歌うこと、走ること、写真、散歩や美術館めぐりだというモデル、女優さんです。

姉の上白石萌音さんよりも11cmも背が高く、姉妹揃って歌の才能の持ち主です。

2012年2,3月放送のWOWOWの連続ドラマ『分身』で女優デビューし、2015年6月に『ス・マ・イ・ル』で歌手デビューしています。

2016年8月に上演されたミュージカル『赤毛のアン』の主演を務めました。

このミュージカルの主人公は、前年に姉の上白石萌音さんが演じており、姉から引き継いだという形になりました。

2歳年下ということですが、姉の上白石萌音さんと共に女優として活躍の幅が広がっているように感じます。

最近では、2018年7~9月に放送されたTBS系ドラマ『義母と娘のブルース』では、義母役の綾瀬はるか(あやせはるか)さんとの息の合った演技を見事に披露し、話題となりました

年齢的にまだまだ伸び盛りの時期ですので、姉の上白石萌音さんと切磋琢磨して、女優として活躍を続けてほしいと思います。

4.上白石萌音の家族を調査!両親(父親・母親)はどんな人?

上白石萌音さんの家族は、両親(父親・母親)、妹の萌歌さん、萌音さんの4人家族です。

父親は現在、社会科の教師ですが、メキシコで3年間、日本語教師をしていたこともあります。

2011年に、娘の上白石萌音さんが女優デビューを果たしたNHK大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』において、徳川家から天皇家に嫁ぐ娘役を演じるに当たっては、その頃の時代背景などを教えたそうです。

上白石萌音さんは、社会科教師の父親から教えてもらった上で、NHK大河ドラマの撮影に臨みました。

母親も音楽教師であり、ピアノの先生でもあることから、2人の娘が歌ったり、踊ったりすることが好きになったのは、間違いなく、母親の影響だと思われます。

自宅で、楽しそうに歌ったり、踊ったりしている娘の上白石萌音さんの姿を見て、マリアミュージカルアカデミーに入ることを薦めてくれたのは、そんな音楽教師の母親でした。

しかし、上白石萌音さんが女優になりたいと両親に告白したときは、猛反対されたそうです。

最終的には許してくれて、今では応援してくれています。

5.まとめ

この記事では、上白石萌音さんの出身高校・大学を調査した結果をご紹介すると共に、家族である妹の上白石萌歌さんや両親(父親・母親)はどんな人なのかをご紹介してきました。

上白石萌音さんは仕事だけでなく、勉強、特に英語に力を入れているらしく、忙しい毎日を送っているようです。

また、上白石萌音さんが芸能界入りしたきっかけは、2011年に開催された第7回『東宝「シンデレラ」オーディション』ででしたが、妹の上白石萌歌さんがグランプリで、姉の上白石萌音さんが審査員特別賞だったのをご存知でしたでしょうか?

上白石萌音さんについて、調べたかぎり、妹よりも下回った結果をどう思っているかについては、特に触れていないようです。

しかし、子供ながらも当時は悔しかったのではないでしょうか。

このような過去があったから、現在のような上白石萌音さんの芸能界での活躍があるのだと思います。

上白石萌音さんの今後更なるご活躍を期待しています。

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石原詢子の実家の家族は?両親(父親・母親)はどんな人?兄弟姉妹はいるの?

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石原詢子(いしはらじゅんこ)さんといえば、昨年(2018年)デビュー30周年記念を迎え、同年9月5日には30周年記念リサイタルを行い、話題となりました。

そんな石原詢子さんは、ある家元の家に生まれたことをご存知でしょうか。

そこで、この記事では石原詢子さんの実家の家族について、両親(父親・母親)はどんな人なのか、兄弟姉妹はいるのかをご紹介することによって明らかにします

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1.石原詢子の実家の家族は?両親(父親・母親)はどんな人?

石原詢子さんの実家は、岐阜県揖斐(いび)郡池田町にあります。

石原詢子さんは6人兄弟の4番目の長女として生まれていますので、石原家の家族構成は両親(父親・母親)と6人兄弟の8人家族です。

(1)石原詢子の父親は詩吟の家元だった!?

石原詢子さんの父親は詩吟揖水流(いすいりゅう)の初代家元だったため、娘である石原詢子さんは幼い頃から詩吟揖水流の初代家元である父親の背中を見て育ちました。

そんな石原詢子さんは「お父さん子」だったからか、6人兄弟の中でも最も厳しく父親から稽古を受けてきました。

石原詢子さんによると、4歳から稽古漬けの毎日が始まり、小学生時代は学校に行っている時間以外は、朝から晩まで厳しい稽古を受けていたそうです。

石原詢子さんの父親がこれだけ厳しい稽古を長女の石原詢子さんに受けさせたのは、石原詢子さんに詩吟の家元になる資質があることを見抜いていたからではないでしょうか。

石原詢子さんの父親は、娘である石原詢子さんに詩吟揖水流の家元を継いでほしかったのではないでしょうか。

だから、石原詢子さんの父親は、娘が歌手になるために上京することにも反対だったのかもしれません。

そんな詩吟揖水流の初代家元だった石原詢子さんの父親は、後に大ヒットを記録する8枚目シングル「夕霧海峡」が発売された直後の1995年8月12日に、先に亡くなった母親の後を追うようにして、64歳で亡くなっています

石原詢子さんは亡き父親を思い、亡き父親の吟号である「源風(げんぷう)」をタイトルにしたアルバム「デビュー20周年記念スーパーシングルコレクション『源風』」を2007年10月にリリースしています。

石原詢子さんは、詩吟揖水流の初代家元だった父親が生きた証を残したかったのかもしれません。

(2)石原詢子、父親の跡を継ぎ詩吟揖水流の2代目家元へ!!

石原詢子さんは、生前の父親とある約束をしました。

その約束とは、

「50歳になったら継ぐからね」

出典:http://www.1242.com/

というもの。

石原詢子さんにとって、この父親との約束は大変重要なものだったらしく、石原詢子さんは約束の50歳になった2018年、詩吟揖水流詢風会(じゅんぷうかい)を設立し、2代目家元に就任するとともに、詩吟教室を始めました

更に同年9月には、石原詢子さんのデビュー30周年記念の詩吟アルバム「詢風(じゅんぷう)~吟詠の世界~」をリリースしています。

なお、石原詢子さんはもともと吟号を「石原美風(びふう)」としています

もし石原詢子さんの父親が生きていたら、娘の石原詢子さんが詩吟揖水流の2代目家元を継いだことをたいそう喜んだのではないでしょうか。

娘の石原詢子さんもその晴れ姿を亡き父親に見せてあげたかったに違いありません。

(3)石原詢子の母親はどんな人?

石原詢子さんは、詩吟揖水流の初代家元だった父親に比べると母親については、あまり語っていないようです。

しかし、石原詢子さんのブログ「詢子のひとりごと」の中の2016年7月24日(日)付けのタイトル「母の命日」という記事において、石原詢子さんは母親について語っています。

石原詢子さんの母親は、父親が亡くなる約2週間前の1995年7月25日に亡くなっています。

ちょうど石原詢子さんが長い下積み生活を経て、人気歌手の仲間入りすることができるのではないかという時期だったため、両親に自分の歌手としての姿をテレビやステージでいっぱい見せたかったという思いが強かった頃だったのではないかと思います。

石原詢子さんは、2011年4月にリリースした28枚目シングル「逢いたい、今すぐあなたに…。」で初の作詞に挑戦していますが、その際亡き母親の旧名である「いとう冨士子」をペンネームとして使っています。

石原詢子さんには、若くして亡くなった母親が生きた証を形に残したいという思いがあったようです。

したがって、石原詢子さんの亡き母親の名前は、「石原冨士子」さんということになります。

石原詢子さんは先のブログにおいて、亡き母親のことを次のように綴っています。

母の年齢に近づくにつれて、私の母への思いが微妙に変化してきているのを感じます。
もし、今でも母が元気でいてくれたら・・
あんな事もこんな事も一緒に出来たのに・・
そんな思いは21年経った今でも変わりません。
私の中では色褪せることなく母の笑顔、泣いた顔、怒ってる顔、上京するときに見せた寂しそうな顔、一つ一つが鮮明に思い出されます。
そして、母にはちっとも似てない!
と思っていたのに最近、ふとした時や自分の写真を見た時、、「あれ?母に似てきたかな?」と思ったりもします。

そう思うのは私だけかな?

出典:http://junko-ishihara.com/

石原詢子さんの公式ブログ「詢子のひとりごと」のこの記事はこちらです。

「母の命日」

亡くなった人の思い出は、まだ生きている者の心に刻まれているため、娘である石原詢子さんや兄弟姉妹が生きている限り、亡き母親の思い出は色褪せないと思います。

2.石原詢子に兄弟姉妹はいるの?どんな人?

石原詢子さんは、6人兄弟の4番目の長女として生まれていますとご紹介しましたが、6人兄弟の構成はどのようになっているのでしょうか。

石原詢子さんは兄弟の存在については、自身のブログでよく語っているのですが、6人兄弟の構成についてはほとんど明らかにしておりません。

しかし、石原詢子さんは、自身のブログ「詢子のひとりごと」の中の2017年7月25日(火)付けのタイトル「23回忌」の記事において、兄弟の画像を載せています

この画像によると、石原詢子さんの6人兄弟の構成は、長男、次男、三男、長女(石原詢子さん)、次女、三女だと思われます

ただし、「三女」については、画像の中の「三女」が若すぎること、いくつかの情報の中には「三女」ではなく「四男」という情報もあることから、末っ子は「三女」もしくは「四男」のどちらかではないかと思われます

石原詢子さんの公式ブログ「詢子のひとりごと」のこの記事はこちらです。

「23回忌」

3.まとめ

この記事では、石原詢子さんの実家の家族について、両親(父親・母親)はどんな人なのか、兄弟姉妹はいるのかをご紹介することによって明らかにしました

石原詢子さんの父親は詩吟揖水流の初代家元だったため、長女である石原詢子さんは子供の頃から厳しく稽古を受けていました。

そんな父親を説得して、歌手を目指し上京した石原詢子さんでしたが、ようやく成功しかかったとき、両親が相次いで亡くなってしまいました。

両親が亡くなってから23年、生前の父親と交わした詩吟揖水流の家元を継ぐという約束を果たすため、石原詢子さんは2018年に詩吟揖水流詢風会を設立し、2代目家元に就任、詩吟教室を始めています。

石原詢子さんは法事やお墓参りのために、兄弟たちと共に実家のある岐阜県揖斐郡池田町によく帰省しているようです。

天国にいる両親も仲睦まじい6人兄弟の姿に喜んでいるのではないでしょうか。

石原詢子さんの今後益々のご活躍を期待しています。

檀ふみの家族とは?父親は大作家!?母親はどんな人?兄弟姉妹はいるの?

出典:https://girlschannel.net/

檀ふみ(だんふみ)さんといえば、未だに「かわいらしい」「おしとやか」といった形容詞が似合う大物女優さんですよね。

また、エッセイストとしてもその才能を発揮し活躍を続けている檀ふみさんですが、そのご家族をご存知でしょうか。

そこで、この記事では檀ふみさんの家族について、父親は大作家というのは本当か、母親はどんな人か、兄弟姉妹はいるのかをご紹介することによって明らかにします

1.檀ふみの父親は大作家!?母親はどんな人?

檀ふみさんの実家は現在、東京都練馬区の石神井公園の近くにあります。

檀ふみさんの実家の家族の中で、最も有名なのは父親・檀一雄(だんかずお)さんではないでしょうか。

というのは、檀ふみさんの父親・檀一雄さんは、直木賞を受賞した『真説石川五右衛門』『長恨歌』など数々の名著を残しているからです。

ここでは、檀ふみさんの父親である檀一雄さんと父親・檀一雄さんを支えた2人の母親について、ご紹介します

(1)檀ふみの父親は大作家・檀一雄

もともと檀ふみさんの家系は現在の福岡県柳川市出身でしたが、檀ふみさんの父親・檀一雄さんは、父親の仕事(図画教員)の関係で、1912年(大正元年)に山梨県で生まれています。

高校時代から小説を書き始め、同人誌の製作に携わったり、小説や詩などの作品を発表していた檀一雄さんは、1932年(昭和7年)、東京帝国大学経済学部(現在の東京大学)に進学します。

1936年(昭和11年)には『夕張胡亭塾景観』が第2回芥川賞候補になるなど頭角を現しはじめた檀一雄さんは、日中戦争により軍に招集され大陸にも出征しましたが、帰国後の1942年(昭和17年)福岡の開業医の娘である高橋律子さんと結婚しました。

翌1943年(昭和18年)には長男・太郞さんが生まれましたが、1946年(昭和21年)妻・律子さんは腸結核により亡くなってしまいます。

しかし、同年檀一雄さんは福岡の酒造家の娘・山田ヨソ子さんと再婚し、このヨソ子さんが檀ふみさんの母親になります。

山田ヨソ子さんと再婚後、上京した檀一雄さんは東京都練馬区の石神井公園の近くに住み始めます。

その後、1951年(昭和26年)に『真説石川五右衛門』『長恨歌』の2作品で直木賞受賞を果たした檀一雄さんに、1954年(昭和29年)長女・ふみさんが生まれます

檀ふみさんの父親・檀一雄さんは、「無頼派」と呼ばれる既成の近代文学に批判的な作風を持った作家の1人として知られ、「最後の無頼派」と言われています。

檀一雄さんは、多くの賞を受賞し、数多くの名作を残していますが、太宰治(だざいおさむ)や坂口安吾(さかぐちあんご)など高名な作家と交流を持っていたことから、一目置かれた存在であったのではないでしょうか。

また、檀一雄さんは、連作『リツ子・その愛』『リツ子・その死』(1950年)や『火宅の人』(1961~75年)といった亡き妻(律子さん)や愛人について描いた小説を発表している点も特徴的です。

『火宅の人』は、1976年(檀一雄さんの死後)に第8回日本文学大賞及び第27回読売文学賞小説賞を受賞しており、1986年にこの作品が映画化された際には、娘・檀ふみさんが主人公・桂一雄(檀一雄がモデル)の母親役を演じています。

そんな檀ふみさんの父親・檀一雄さんは、1975年、肺ガンを患い、翌1976年1月に63歳の若さで亡くなっています

(2)檀ふみの母親はどんな人?父親・檀一雄には2人の妻がいた!?

檀ふみさんの父親・檀一雄さんには2回の結婚歴があり、1人目の妻・律子さんとの間に長男・太郞さんを儲けましたが、結婚後わずか3年で死別しています。

檀ふみさんの母親は、檀一雄さんが前妻の律子さんと死別した1946年(昭和21年)に再婚したヨソ子さんになります。

ヨソ子さんは夫・檀一雄さんが亡くなるまでの30年間、夫に寄り添いましたが、夫が愛人について描いた『火宅の人』を発表したことで、大変苦しんだのではないでしょうか。

檀ふみさんも、そういう母親の姿を見ていたので、心を痛めていたのかもしれません。

そんな檀ふみさんの母・檀ソノ子さんは、夫・檀一雄さんが亡くなってから39年後の2015年4月に腸閉塞のため、92歳で亡くなっています

2.檀ふみに兄弟姉妹はいるの?

檀ふみさんの父親・檀一雄さんと後妻・ヨソ子さんの間には、4人の子供が生まれています。

前妻・律子さんの子供である長男・檀太郞(だんたろう)さんを加えると、檀一雄さんの子供は5人いることになります。

5人兄弟の内訳は、

  • 長男檀太郞さん、前妻・律子さんの子供)
  • 次男(後妻・ヨソ子さんの子供、以下同じ)
  • 三男
  • 長女檀ふみさん
  • 次女

となり、檀ふみさんは5人兄弟の4番目の子供で長女になります。

5人兄弟の中で、著名なのは長男・檀太郞さんと長女・檀ふみさんの2人ですが、あとの3人は一般人です。

しかし、次男・檀次郎さんは、5歳のときに日本脳炎にかかっており、わずか14歳で亡くなっています。

長男・檀太郞さんは、エッセイスト、CMディレクターとして活躍しています。

エッセイストとしては、文壇を代表する料理人として知られ、友人や編集者を自宅に招いて、料理を振る舞っていたという父親・檀一雄さんの遺志を継いで、『檀流ワイルドクッキング』(1983)などのエッセイの出版や講演活動をしています。

もともと檀太郞さんは、若い頃いくつかの挑戦をしており、俳優座養成所に入り俳優を志したり、南米を放浪したりしていました。

その後、大手広告代理店に入社して、CMディレクターになっています。

3.まとめ

この記事では、檀ふみさんの家族について、父親は大作家というのは本当か、母親はどんな人か、兄弟姉妹はいるのかをご紹介することによって明らかにしてきました

檀ふみさんの父親は、偉大な作家・檀一雄さんだったことを知らなかった人もいれば、檀ふみさんが二世芸能人だったことに驚いた人もいたのではないでしょうか。

更に、檀一雄さんには2人の妻がいましたが、前妻・律子さんが早世し後妻・ヨソ子さんと再婚したため、檀ふみさんが生まれました。

檀ふみさんは、5人兄弟の4番目の長女だということもわかりました。

また、次男・檀次郎さんが亡くなったとき、檀ふみさんは10歳くらいだったので、とてもつらい思いをしたのではないでしょうか。

檀ふみさんの今後益々のご活躍を期待しています。

中村ゆりの実家の家族、両親(父親・母親)はどんな人?兄弟はいるの?

中村ゆり 実家 家族

中村ゆり 実家 家族

出典:https://thetv.jp/

中村ゆりさんといえば、現在放送中の読売テレビ・日本テレビ系連続ドラマ『増山超能力師事務所』に出演しており、コスプレ画像が美人すぎると話題になっています。

そんな中村ゆりさんは、1982年3月15日生まれの現在34歳で、大阪府寝屋川市出身、アルファエージェンシー所属の女優さんです。

中村ゆりさんの芸能界デビューは意外と早く、1998年にアイドルデュオ『YURIMARI(ユリマリ)』として、歌手デビューしています。

その後、女優に転身し、数多くの映画やドラマに出演、活躍していますが、中村ゆりさんのことを知らないという人も多いかもしれません。

そこでこの記事では、女優・中村ゆりさんの実家の家族である両親(父親・母親)はどんな人で兄弟はいるのかについて、ご紹介します。

中村ゆりさんの経歴について、詳しく知りたいという方は、こちらの記事にまとめていますので、読んでいただければと思います。

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現在話題となっているドラマ『増山超能力師事務所』における中村ゆりさんの美人すぎるコスプレ画像については、こちらの記事でご紹介していますので、興味のある方は読んでいただけるとうれしいです。

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中村ゆりさんには性同一性障害ではないかという疑惑があるようですが、その真相については、こちらの記事にまとめていますので、興味のある方は読んでいただければ幸いです。

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1.中村ゆりの実家の家族、両親(父親・母親)はどんな人で兄弟はいるのか?

中村ゆりさんは、在日韓国人3世の父親と韓国生まれの母親の間に生まれ、韓国籍を有しています

中村ゆりさんの実家は、現在も出身地である大阪府寝屋川市にあると思われます。

中村ゆりさんの家族については、中村ゆりさんの公式ブログ(2019年12月現在、閉鎖)の中に言及している記事があります。

ここでは、その記事を元に中村ゆりさんの家族をご紹介します。

中村ゆりさんが家族について触れているのは、今から8年あまり前の2008年12月9日の「おめでとう兄。」というタイトルの記事です。

この記事の冒頭で、中村ゆりさんはお兄さんの中学時代の写真をアップするとともに、この日がお兄さんの誕生日であることを報告しています。

この写真を見るかぎり、中村ゆりさんのお兄さんはけっこうイケメンです。

この記事からわかることは、中村ゆりさんには4歳年上のお兄さんがいて、そのお兄さんは2008年12月9日をもって31歳になったということです。

したがって、中村ゆりさんのお兄さんは2016年12月9日に39歳になっていることから、2017年2月10日現在39歳ということになります。

昔、中村ゆりさんがお兄さんとけんかしている時に、母親から

「ママが死んだら兄弟二人しかおらんねんから、助け合って仲良くしなさいっ。」

出典:中村ゆりオフィシャルブログ(アメーバブログ)

とよく言われていたという記述があることから、中村ゆりさんにはお兄さん以外に兄弟はいないことがわかります。

つまり、中村ゆりさんは2人兄妹ということです。

さらに中村ゆりさんの母親が父親と離婚したか、死別したのかはわかりませんが、中村ゆりさんは母子家庭で育ったということがわかります。

この記事を読むかぎり、兄妹仲は良く、次のようなエピソードを語っています。

門限やぶったりすると兄にも怒られたし、兄が高校生の時初めてアルバイトでお給料もらった時は私に五千円くれたりしたなぁ。

出典:中村ゆりオフィシャルブログ(アメーバブログ)

このエピソードからは、中村ゆりさんにとって4歳年上のお兄さんは、兄としてだけでなく、父親のような役割も果たしていたのではないかと考えられます。

2.まとめ

いかがでしたでしょうか。

この記事では、女優・中村ゆりさんの実家の家族である両親(父親・母親)はどんな人で兄弟はいるのかについて、ご紹介しました。

中村ゆりさんが在日韓国人3世の父親を持ち、韓国籍を有しているという事実は意外だったのではないでしょうか。

中村ゆりさんが美人なのは、韓国人の血が流れているからかもしれません。

しかし、中村ゆりさんの家族は、母親と兄の3人家族で母子家庭だったようです。

それだけに、中村ゆりさんの家族は固い絆で結ばれており、中村ゆりさんも家族は「かけがえのない宝物」と語っています。

中村ゆりさんの今後益々のご活躍を期待しています。