上白石萌音の出身高校・大学や家族を調査!妹は上白石萌歌!両親(父親・母親)はどんな人?

上白石萌音 家族

上白石萌音 家族

出典:https://ameblo.jp/

上白石萌音(かみしらいしもね)さんといえば、女優としてはもちろん、歌手、声優、ナレーションなど幅広く活躍しています。

そんな仕事では順風満帆な上白石萌音さんですが、プライベートでは大学に在学中です。

また、妹は上白石萌歌(かみしらいしもか)さんで姉妹揃って、ドラマや映画で大活躍していますが、上白石萌音・萌歌姉妹は、2011年に行われた第7回『東宝「シンデレラ」オーディション』をきっかけに芸能界入りしています。

こんな才能溢れる姉妹を育てた両親とは、どんな人なのでしょうか?

そこで、この記事では上白石萌音さんの出身高校・大学を調査した結果をご紹介すると共に、家族である妹の上白石萌歌さんや両親(父親・母親)はどんな人なのかをご紹介します。

1.上白石萌音の出身高校はどこか?

上白石萌音さんは、中学1年生のときに芸能界入りしていますが、中学校を卒業するまでは、地元の鹿児島県鹿児島市の中学校に通いながら、週末に仕事のために上京するという生活を送っていました。

2013年3月に地元の中学校を卒業した上白石萌音さんは、上京して、普通科の高校に進学しています。

しかし、上白石萌音さんの出身高校については、都内の普通科の高校ということ以外は公表されておりません。

そこで、調べてみたところ、芸能コースのある日出高校と堀越高校のどちらかの可能性が高いようですが、どちらの高校出身かは定かではありません

2.上白石萌音が、現在通っている大学はどこか?

上白石萌音さんは、2016年3月に高校を卒業し、大学に進学しています。

現在22歳の上白石萌音さんは大学4年生だと推定されることから、2020年3月に大学を卒業予定だと思われます。

そこで、上白石萌音さんが現在通っている大学はどこかについて、調べてみました。

上白石萌音さんの公式プロフィールによると、「学歴」欄には「大学在学中」と記載されていることから、どこの大学に通っているのかは公表されておりません。

調べてみると、青山学院大学と明治大学のどちらかの大学に、上白石萌音さんが通っている可能性が高いことがわかりました。

上白石萌音さんが通っている大学を知る上で手がかりになるのが、2016年に行われた大学・短大(短期大学)・専門学校の情報サイト『進路ナビ』のインタビューです。

このインタビューにおいて、上白石萌音さんは、次のように語っています。

大学では、英語教育に力を入れている学部に所属していて、週に8コマも英語の授業があるため、英語漬けの日々を送っています。この前も英語でプレゼンテーションを行いましたし、翻訳の授業なども取っているんですよ。

必修科目が多いため、週5日きちんと大学に通っています。でも、本当にマルチにいろいろなことができる学部ですので、毎日がとても楽しいです。

できることなら留学もしたい、と思っています。やはり本場で英語を学んでみたいですしね。

更に、読売新聞の上白石萌音さんについての記述の中に、都内の私立大学において、舞台芸術論や日本映画史などを学んでいますとあります。

これらの発言や記述から、上白石萌音さんが通っている大学は、都内の私立大学で、英語教育に力を入れている学部に所属しており、舞台芸術論や日本映画史などを学ぶことができる大学ということになります。

都内で英語に力を入れている大学・学部は、たくさんありますが、加えて舞台芸術論や日本映画史を学ぶことができる大学・学部となると、おそらく明治大学国際日本学部だと思われます

3.上白石萌音の妹は女優・上白石萌歌!!

上白石萌音 上白石萌歌

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上白石萌歌さんは、2011年の第7回『東宝「シンデレラ」オーディション』において、44,120人の中から頂点に立ち、グランプリとなりました。

一方、姉の上白石萌音さんも審査員特別賞を受賞してします。

10歳の小学5年生でのグランプリは、史上最年少という快挙でした。

同年、ファッション雑誌『ピチレモン』の専属モデルとなり、2011年9月号から登場しました。

上白石萌歌(かみしらいしもか)さんは、2000年2月28日生まれの現在19歳で、鹿児島県鹿児島市出身、身長163cm、趣味は、歌うこと、走ること、写真、散歩や美術館めぐりだというモデル、女優さんです。

姉の上白石萌音さんよりも11cmも背が高く、姉妹揃って歌の才能の持ち主です。

2012年2,3月放送のWOWOWの連続ドラマ『分身』で女優デビューし、2015年6月に『ス・マ・イ・ル』で歌手デビューしています。

2016年8月に上演されたミュージカル『赤毛のアン』の主演を務めました。

このミュージカルの主人公は、前年に姉の上白石萌音さんが演じており、姉から引き継いだという形になりました。

2歳年下ということですが、姉の上白石萌音さんと共に女優として活躍の幅が広がっているように感じます。

最近では、2018年7~9月に放送されたTBS系ドラマ『義母と娘のブルース』では、義母役の綾瀬はるか(あやせはるか)さんとの息の合った演技を見事に披露し、話題となりました

年齢的にまだまだ伸び盛りの時期ですので、姉の上白石萌音さんと切磋琢磨して、女優として活躍を続けてほしいと思います。

4.上白石萌音の家族を調査!両親(父親・母親)はどんな人?

上白石萌音さんの家族は、両親(父親・母親)、妹の萌歌さん、萌音さんの4人家族です。

父親は現在、社会科の教師ですが、メキシコで3年間、日本語教師をしていたこともあります。

2011年に、娘の上白石萌音さんが女優デビューを果たしたNHK大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』において、徳川家から天皇家に嫁ぐ娘役を演じるに当たっては、その頃の時代背景などを教えたそうです。

上白石萌音さんは、社会科教師の父親から教えてもらった上で、NHK大河ドラマの撮影に臨みました。

母親も音楽教師であり、ピアノの先生でもあることから、2人の娘が歌ったり、踊ったりすることが好きになったのは、間違いなく、母親の影響だと思われます。

自宅で、楽しそうに歌ったり、踊ったりしている娘の上白石萌音さんの姿を見て、マリアミュージカルアカデミーに入ることを薦めてくれたのは、そんな音楽教師の母親でした。

しかし、上白石萌音さんが女優になりたいと両親に告白したときは、猛反対されたそうです。

最終的には許してくれて、今では応援してくれています。

5.まとめ

この記事では、上白石萌音さんの出身高校・大学を調査した結果をご紹介すると共に、家族である妹の上白石萌歌さんや両親(父親・母親)はどんな人なのかをご紹介してきました。

上白石萌音さんは仕事だけでなく、勉強、特に英語に力を入れているらしく、忙しい毎日を送っているようです。

また、上白石萌音さんが芸能界入りしたきっかけは、2011年に開催された第7回『東宝「シンデレラ」オーディション』ででしたが、妹の上白石萌歌さんがグランプリで、姉の上白石萌音さんが審査員特別賞だったのをご存知でしたでしょうか?

上白石萌音さんについて、調べたかぎり、妹よりも下回った結果をどう思っているかについては、特に触れていないようです。

しかし、子供ながらも当時は悔しかったのではないでしょうか。

このような過去があったから、現在のような上白石萌音さんの芸能界での活躍があるのだと思います。

上白石萌音さんの今後更なるご活躍を期待しています。

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竹内太一「土佐料理 司」社長の年齢等経歴、学歴(出身高校・大学)、家族(嫁(妻)、子供)は?

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2019年5月30日(木)22時から放送されるテレビ東京系『カンブリア宮殿』には、老舗料理店「土佐料理 司」の3代目社長である竹内太一(たけうちたいち)さんが出演されます。

というのは、「土佐料理 司」社長・竹内太一さんは、高知県の郷土料理を「土佐料理」のブランド化を徹底させることによって、地域の活性化に大きな役割を果たしているからです。

そこで、この記事では「土佐料理 司」社長・竹内太一さんとはどんな人物なのかを、年齢等経歴、学歴(出身高校・大学)をご紹介することによって、明らかにします

1.竹内太一「土佐料理 司」社長の年齢等プロフィール及び経歴

(1)竹内太一「土佐料理 司」社長の年齢等プロフィール

名前:竹内太一(たけうちたいち)

出身地:高知県高知市

生年月日:1953年8月18日(現在の年齢:65歳

竹内太一さんは1953年、高知県高知市に竹内家の長男として生まれています。

竹内太一さんには姉と妹がいますから、3人兄弟の2番目になります。

竹内太一さんは生まれたときから、「土佐料理 司」の3代目になることが宿命づけられていたのかもしれません。

(2)「土佐料理 司」の歴史とは

「土佐料理 司」の前身となる料理店「新京橋ねぼけ」を高知市に創業したのは、竹内太一さんの祖父・小松牛次さんで1917年(大正6年)のことでした。

その跡を継いだのが竹内太一さんの父・竹内和夫さんで、1964年(昭和39年)高知市内に「土佐料理 司」を開業しています。

この店名からわかると思いますが、高知県の郷土料理を「土佐料理」と名付けたのは、竹内太一さんの父・竹内和夫さんでした。

そんな竹内太一さんの父・竹内和夫さんは、祖父・小松牛次さんの養子として迎えられていますが、父・竹内和夫さんが最初に開業したのは中華料理店だったと言います。

「土佐料理 司」がその店舗数を拡大させ、急成長を遂げたのは、竹内太一さんの父で2代目社長・竹内和夫さんのときでした。

1969年(昭和44年)に高知市以外の最初の店舗「司」阪急三番街店を大阪に出店すると、1972年(昭和47年)には「祢保希(ねぼけ)」赤坂店を出店して、東京進出を果たしています。

ただ、ずっと順調だったわけではなく、東京進出当初はなかなかうまくいかなかったこともありました。

しかし、メディアに紹介されたことがきっかけとなって、息を吹き返すことができ、その後の店舗数の拡大を続けていきます。

(3)竹内太一「土佐料理 司」社長の経歴 ~実家の家業を継いで、老舗3代目社長へ~

竹内太一さんは地元・高知県高知市の高校を卒業後、一浪して東京の大学に進学しています。

大学進学と同時に、竹内太一さんは家族と共に上京して、「祢保希(ねぼけ)」赤坂店を出店するために建てた自社ビルの最上階に引っ越しています。

竹内太一さんは大学卒業後、実家の家業である「土佐料理 司」を継ぐ気はなく、外資系企業への就職も内定していました。

しかし、意外にも竹内太一さんの母親から「土佐料理 司」を継いでほしいと頼まれます

この母親からの依頼に対して、竹内太一さんは外資系企業の内定を辞退して、実家の家業である「土佐料理 司」への就職を決断したのです。

そんな竹内太一さんは入社後、調理見習いを経て、1974年に開店した「祢保希(ねぼけ)」新宿店の店長に就任します。

この時の経験から、竹内太一さんは「採用」「仕入れ」等の改革を実施しています。

そんな竹内太一さんは、常務、専務などの要職を経て、1996年に社長に就任します。

なお、「土佐料理 司」は、竹内太一さんが社長に就任する4年前の1992年(平成4年)に社名を「加寿翁(かずおう)コーポレーション」に変更しています。

竹内太一社長はバブル崩壊後に就任したため、課題は山積みでしたが、最初にやるべきことは多額の借金の返済と20店舗まで拡大した店舗のうち、赤字店舗を閉店させることでした。

この課題を見事にクリアしたことにより、業績を回復させた竹内太一社長は看板商品である「土佐料理」を見直すことによって、「土佐料理」のブランド化を徹底しました。

2017年(平成29年)に100周年を迎えた「土佐料理 司」は、2018年(平成30年)「加寿翁(かずおう)コーポレーション」から「土佐料理 司」に社名変更しています。

(4)「土佐料理 司」の店舗一覧

竹内太一さんが社長を務める「土佐料理 司」は、高知、大阪、東京に12店舗を展開しています。

「土佐料理 司」の12店舗はこちらです。

<土佐料理 司>

  • 司 高知本店
  • 司 高知空港店
  • 司 阪急グランドビル店
  • 司 梅田茶屋町店

<土佐料理 祢保希(ねぼけ)>

  • 祢保希 銀座店
  • 祢保希 赤坂店
  • 祢保希 丸の内店
  • 祢保希 新宿店
  • 祢保希 日本橋店

<酔鯨亭(すいげいてい)>

  • 酔鯨亭 高知店

<SUIGEI>

  • 酒と肴 SUIGEI 大阪店

<ごはん処 司>

  • ごはん処 司 阪急三番街店

「土佐料理 司」の公式サイト(店舗情報一覧)はこちら

2.竹内太一「土佐料理 司」社長の学歴(出身高校・大学)は?

「土佐料理 司」社長に就任して以来、「土佐料理」のブランド化を徹底することによって、地域の活性化を図ろうと奮闘している竹内太一社長ですが、どのような学歴をお持ちなのでしょうか。

そこで、ここでは「土佐料理 司」の竹内太一社長の学歴(出身高校・大学)をご紹介します

竹内太一社長の学歴の中で、明らかになっているのは、明治大学商学部を卒業していることです。

一方、出身小中学校・高校については、明らかになっておりません。

そこで、調べてみると、竹内太一社長の出身小中学校・高校について、次のことが判明しました。

  • 出身地である高知市内の小中学校・高校を卒業
  • 中高一貫の進学校に入学
  • 中学時代は軟式テニス部、高校時代は水泳部に所属

以上のことから、絞り込んだ結果、1校の中学校・高校が浮かび上がりました。

その中学校・高校は、

土佐中学校・高校

したがって、竹内太一「土佐料理 司」社長の出身中学校・高校は、土佐中学校・高校だと推定されます

竹内太一社長は、明治大学時代はヨット部に所属しており、年間200日は海で合宿をしていたと言いますから、学生時代は体育会系だったようです。

3.竹内太一「土佐料理 司」社長の家族(嫁(妻)、子供)は?

竹内太一「土佐料理 司」社長は結婚しており、嫁(妻)と4人の子供がいます。

なんと子供は4人とも娘なんです。

長女と次女は結婚して子供もいるのですが、2人とも女の子なんです。

要するに、竹内太一社長の子供は4人とも娘で、2人の孫も女の子だということです。

でも、今の時代、男が跡を継がなければならないということではないので、4人の娘さんかその旦那さんの中で、跡を継ぎたいという人に継がせてもいいのではないでしょうか。

いずれにしても、「土佐料理」は残してほしいと思います。

4.まとめ

この記事では、「土佐料理 司」社長・竹内太一さんとはどんな人物なのかを、年齢等経歴、学歴(出身高校・大学)をご紹介することによって、明らかにしました。

「土佐」は高知ということはわかるものの、「土佐料理」という言葉については聞いたことがなかったという人もいたのではないでしょうか。

この「土佐料理」のブランド化により、地域の活性化を図ってきたのが「土佐料理 司」社長の竹内太一さんです。

今回の『カンブリア宮殿』(テレビ東京系)で「土佐料理 司」を知ったという人は、これらの店舗に足を運んでみてはいかがでしょうか。

竹内太一「土佐料理 司」社長の今後益々のご活躍を期待しています。

石原詢子の実家の家族は?両親(父親・母親)はどんな人?兄弟姉妹はいるの?

出典:https://twitter.com/

石原詢子(いしはらじゅんこ)さんといえば、昨年(2018年)デビュー30周年記念を迎え、同年9月5日には30周年記念リサイタルを行い、話題となりました。

そんな石原詢子さんは、ある家元の家に生まれたことをご存知でしょうか。

そこで、この記事では石原詢子さんの実家の家族について、両親(父親・母親)はどんな人なのか、兄弟姉妹はいるのかをご紹介することによって明らかにします

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1.石原詢子の実家の家族は?両親(父親・母親)はどんな人?

石原詢子さんの実家は、岐阜県揖斐(いび)郡池田町にあります。

石原詢子さんは6人兄弟の4番目の長女として生まれていますので、石原家の家族構成は両親(父親・母親)と6人兄弟の8人家族です。

(1)石原詢子の父親は詩吟の家元だった!?

石原詢子さんの父親は詩吟揖水流(いすいりゅう)の初代家元だったため、娘である石原詢子さんは幼い頃から詩吟揖水流の初代家元である父親の背中を見て育ちました。

そんな石原詢子さんは「お父さん子」だったからか、6人兄弟の中でも最も厳しく父親から稽古を受けてきました。

石原詢子さんによると、4歳から稽古漬けの毎日が始まり、小学生時代は学校に行っている時間以外は、朝から晩まで厳しい稽古を受けていたそうです。

石原詢子さんの父親がこれだけ厳しい稽古を長女の石原詢子さんに受けさせたのは、石原詢子さんに詩吟の家元になる資質があることを見抜いていたからではないでしょうか。

石原詢子さんの父親は、娘である石原詢子さんに詩吟揖水流の家元を継いでほしかったのではないでしょうか。

だから、石原詢子さんの父親は、娘が歌手になるために上京することにも反対だったのかもしれません。

そんな詩吟揖水流の初代家元だった石原詢子さんの父親は、後に大ヒットを記録する8枚目シングル「夕霧海峡」が発売された直後の1995年8月12日に、先に亡くなった母親の後を追うようにして、64歳で亡くなっています

石原詢子さんは亡き父親を思い、亡き父親の吟号である「源風(げんぷう)」をタイトルにしたアルバム「デビュー20周年記念スーパーシングルコレクション『源風』」を2007年10月にリリースしています。

石原詢子さんは、詩吟揖水流の初代家元だった父親が生きた証を残したかったのかもしれません。

(2)石原詢子、父親の跡を継ぎ詩吟揖水流の2代目家元へ!!

石原詢子さんは、生前の父親とある約束をしました。

その約束とは、

「50歳になったら継ぐからね」

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というもの。

石原詢子さんにとって、この父親との約束は大変重要なものだったらしく、石原詢子さんは約束の50歳になった2018年、詩吟揖水流詢風会(じゅんぷうかい)を設立し、2代目家元に就任するとともに、詩吟教室を始めました

更に同年9月には、石原詢子さんのデビュー30周年記念の詩吟アルバム「詢風(じゅんぷう)~吟詠の世界~」をリリースしています。

なお、石原詢子さんはもともと吟号を「石原美風(びふう)」としています

もし石原詢子さんの父親が生きていたら、娘の石原詢子さんが詩吟揖水流の2代目家元を継いだことをたいそう喜んだのではないでしょうか。

娘の石原詢子さんもその晴れ姿を亡き父親に見せてあげたかったに違いありません。

(3)石原詢子の母親はどんな人?

石原詢子さんは、詩吟揖水流の初代家元だった父親に比べると母親については、あまり語っていないようです。

しかし、石原詢子さんのブログ「詢子のひとりごと」の中の2016年7月24日(日)付けのタイトル「母の命日」という記事において、石原詢子さんは母親について語っています。

石原詢子さんの母親は、父親が亡くなる約2週間前の1995年7月25日に亡くなっています。

ちょうど石原詢子さんが長い下積み生活を経て、人気歌手の仲間入りすることができるのではないかという時期だったため、両親に自分の歌手としての姿をテレビやステージでいっぱい見せたかったという思いが強かった頃だったのではないかと思います。

石原詢子さんは、2011年4月にリリースした28枚目シングル「逢いたい、今すぐあなたに…。」で初の作詞に挑戦していますが、その際亡き母親の旧名である「いとう冨士子」をペンネームとして使っています。

石原詢子さんには、若くして亡くなった母親が生きた証を形に残したいという思いがあったようです。

したがって、石原詢子さんの亡き母親の名前は、「石原冨士子」さんということになります。

石原詢子さんは先のブログにおいて、亡き母親のことを次のように綴っています。

母の年齢に近づくにつれて、私の母への思いが微妙に変化してきているのを感じます。
もし、今でも母が元気でいてくれたら・・
あんな事もこんな事も一緒に出来たのに・・
そんな思いは21年経った今でも変わりません。
私の中では色褪せることなく母の笑顔、泣いた顔、怒ってる顔、上京するときに見せた寂しそうな顔、一つ一つが鮮明に思い出されます。
そして、母にはちっとも似てない!
と思っていたのに最近、ふとした時や自分の写真を見た時、、「あれ?母に似てきたかな?」と思ったりもします。

そう思うのは私だけかな?

出典:http://junko-ishihara.com/

石原詢子さんの公式ブログ「詢子のひとりごと」のこの記事はこちらです。

「母の命日」

亡くなった人の思い出は、まだ生きている者の心に刻まれているため、娘である石原詢子さんや兄弟姉妹が生きている限り、亡き母親の思い出は色褪せないと思います。

2.石原詢子に兄弟姉妹はいるの?どんな人?

石原詢子さんは、6人兄弟の4番目の長女として生まれていますとご紹介しましたが、6人兄弟の構成はどのようになっているのでしょうか。

石原詢子さんは兄弟の存在については、自身のブログでよく語っているのですが、6人兄弟の構成についてはほとんど明らかにしておりません。

しかし、石原詢子さんは、自身のブログ「詢子のひとりごと」の中の2017年7月25日(火)付けのタイトル「23回忌」の記事において、兄弟の画像を載せています

この画像によると、石原詢子さんの6人兄弟の構成は、長男、次男、三男、長女(石原詢子さん)、次女、三女だと思われます

ただし、「三女」については、画像の中の「三女」が若すぎること、いくつかの情報の中には「三女」ではなく「四男」という情報もあることから、末っ子は「三女」もしくは「四男」のどちらかではないかと思われます

石原詢子さんの公式ブログ「詢子のひとりごと」のこの記事はこちらです。

「23回忌」

3.まとめ

この記事では、石原詢子さんの実家の家族について、両親(父親・母親)はどんな人なのか、兄弟姉妹はいるのかをご紹介することによって明らかにしました

石原詢子さんの父親は詩吟揖水流の初代家元だったため、長女である石原詢子さんは子供の頃から厳しく稽古を受けていました。

そんな父親を説得して、歌手を目指し上京した石原詢子さんでしたが、ようやく成功しかかったとき、両親が相次いで亡くなってしまいました。

両親が亡くなってから23年、生前の父親と交わした詩吟揖水流の家元を継ぐという約束を果たすため、石原詢子さんは2018年に詩吟揖水流詢風会を設立し、2代目家元に就任、詩吟教室を始めています。

石原詢子さんは法事やお墓参りのために、兄弟たちと共に実家のある岐阜県揖斐郡池田町によく帰省しているようです。

天国にいる両親も仲睦まじい6人兄弟の姿に喜んでいるのではないでしょうか。

石原詢子さんの今後益々のご活躍を期待しています。

檀ふみの家族とは?父親は大作家!?母親はどんな人?兄弟姉妹はいるの?

出典:https://girlschannel.net/

檀ふみ(だんふみ)さんといえば、未だに「かわいらしい」「おしとやか」といった形容詞が似合う大物女優さんですよね。

また、エッセイストとしてもその才能を発揮し活躍を続けている檀ふみさんですが、そのご家族をご存知でしょうか。

そこで、この記事では檀ふみさんの家族について、父親は大作家というのは本当か、母親はどんな人か、兄弟姉妹はいるのかをご紹介することによって明らかにします

1.檀ふみの父親は大作家!?母親はどんな人?

檀ふみさんの実家は現在、東京都練馬区の石神井公園の近くにあります。

檀ふみさんの実家の家族の中で、最も有名なのは父親・檀一雄(だんかずお)さんではないでしょうか。

というのは、檀ふみさんの父親・檀一雄さんは、直木賞を受賞した『真説石川五右衛門』『長恨歌』など数々の名著を残しているからです。

ここでは、檀ふみさんの父親である檀一雄さんと父親・檀一雄さんを支えた2人の母親について、ご紹介します

(1)檀ふみの父親は大作家・檀一雄

もともと檀ふみさんの家系は現在の福岡県柳川市出身でしたが、檀ふみさんの父親・檀一雄さんは、父親の仕事(図画教員)の関係で、1912年(大正元年)に山梨県で生まれています。

高校時代から小説を書き始め、同人誌の製作に携わったり、小説や詩などの作品を発表していた檀一雄さんは、1932年(昭和7年)、東京帝国大学経済学部(現在の東京大学)に進学します。

1936年(昭和11年)には『夕張胡亭塾景観』が第2回芥川賞候補になるなど頭角を現しはじめた檀一雄さんは、日中戦争により軍に招集され大陸にも出征しましたが、帰国後の1942年(昭和17年)福岡の開業医の娘である高橋律子さんと結婚しました。

翌1943年(昭和18年)には長男・太郞さんが生まれましたが、1946年(昭和21年)妻・律子さんは腸結核により亡くなってしまいます。

しかし、同年檀一雄さんは福岡の酒造家の娘・山田ヨソ子さんと再婚し、このヨソ子さんが檀ふみさんの母親になります。

山田ヨソ子さんと再婚後、上京した檀一雄さんは東京都練馬区の石神井公園の近くに住み始めます。

その後、1951年(昭和26年)に『真説石川五右衛門』『長恨歌』の2作品で直木賞受賞を果たした檀一雄さんに、1954年(昭和29年)長女・ふみさんが生まれます

檀ふみさんの父親・檀一雄さんは、「無頼派」と呼ばれる既成の近代文学に批判的な作風を持った作家の1人として知られ、「最後の無頼派」と言われています。

檀一雄さんは、多くの賞を受賞し、数多くの名作を残していますが、太宰治(だざいおさむ)や坂口安吾(さかぐちあんご)など高名な作家と交流を持っていたことから、一目置かれた存在であったのではないでしょうか。

また、檀一雄さんは、連作『リツ子・その愛』『リツ子・その死』(1950年)や『火宅の人』(1961~75年)といった亡き妻(律子さん)や愛人について描いた小説を発表している点も特徴的です。

『火宅の人』は、1976年(檀一雄さんの死後)に第8回日本文学大賞及び第27回読売文学賞小説賞を受賞しており、1986年にこの作品が映画化された際には、娘・檀ふみさんが主人公・桂一雄(檀一雄がモデル)の母親役を演じています。

そんな檀ふみさんの父親・檀一雄さんは、1975年、肺ガンを患い、翌1976年1月に63歳の若さで亡くなっています

(2)檀ふみの母親はどんな人?父親・檀一雄には2人の妻がいた!?

檀ふみさんの父親・檀一雄さんには2回の結婚歴があり、1人目の妻・律子さんとの間に長男・太郞さんを儲けましたが、結婚後わずか3年で死別しています。

檀ふみさんの母親は、檀一雄さんが前妻の律子さんと死別した1946年(昭和21年)に再婚したヨソ子さんになります。

ヨソ子さんは夫・檀一雄さんが亡くなるまでの30年間、夫に寄り添いましたが、夫が愛人について描いた『火宅の人』を発表したことで、大変苦しんだのではないでしょうか。

檀ふみさんも、そういう母親の姿を見ていたので、心を痛めていたのかもしれません。

そんな檀ふみさんの母・檀ソノ子さんは、夫・檀一雄さんが亡くなってから39年後の2015年4月に腸閉塞のため、92歳で亡くなっています

2.檀ふみに兄弟姉妹はいるの?

檀ふみさんの父親・檀一雄さんと後妻・ヨソ子さんの間には、4人の子供が生まれています。

前妻・律子さんの子供である長男・檀太郞(だんたろう)さんを加えると、檀一雄さんの子供は5人いることになります。

5人兄弟の内訳は、

  • 長男檀太郞さん、前妻・律子さんの子供)
  • 次男(後妻・ヨソ子さんの子供、以下同じ)
  • 三男
  • 長女檀ふみさん
  • 次女

となり、檀ふみさんは5人兄弟の4番目の子供で長女になります。

5人兄弟の中で、著名なのは長男・檀太郞さんと長女・檀ふみさんの2人ですが、あとの3人は一般人です。

しかし、次男・檀次郎さんは、5歳のときに日本脳炎にかかっており、わずか14歳で亡くなっています。

長男・檀太郞さんは、エッセイスト、CMディレクターとして活躍しています。

エッセイストとしては、文壇を代表する料理人として知られ、友人や編集者を自宅に招いて、料理を振る舞っていたという父親・檀一雄さんの遺志を継いで、『檀流ワイルドクッキング』(1983)などのエッセイの出版や講演活動をしています。

もともと檀太郞さんは、若い頃いくつかの挑戦をしており、俳優座養成所に入り俳優を志したり、南米を放浪したりしていました。

その後、大手広告代理店に入社して、CMディレクターになっています。

3.まとめ

この記事では、檀ふみさんの家族について、父親は大作家というのは本当か、母親はどんな人か、兄弟姉妹はいるのかをご紹介することによって明らかにしてきました

檀ふみさんの父親は、偉大な作家・檀一雄さんだったことを知らなかった人もいれば、檀ふみさんが二世芸能人だったことに驚いた人もいたのではないでしょうか。

更に、檀一雄さんには2人の妻がいましたが、前妻・律子さんが早世し後妻・ヨソ子さんと再婚したため、檀ふみさんが生まれました。

檀ふみさんは、5人兄弟の4番目の長女だということもわかりました。

また、次男・檀次郎さんが亡くなったとき、檀ふみさんは10歳くらいだったので、とてもつらい思いをしたのではないでしょうか。

檀ふみさんの今後益々のご活躍を期待しています。

檀ふみの年齢・身長・学歴(出身高校・大学)等経歴、自宅は豪邸って本当!?

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檀ふみ(だんふみ)さんといえば、数々のドラマや映画に出演し活躍してきた名女優として知られています。

最近では、NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』でナレーションを務めたほか、TBS系ドラマ『陸王』『初めて恋をした日に読む話』に出演し、安定した演技を披露しています。

更に2019年5月10日から公開される、水谷豊(みずたにゆたか)さんが監督を務めた映画『轢き逃げ 最高の最悪な日』にも出演しています。

そこで、この記事では檀ふみさんがどんな人なのかを、年齢・身長・学歴(出身高校・大学)等経歴をご紹介するとともに、檀ふみさんの自宅が豪邸って本当なのかについてご説明することによって、明らかにします

1.檀ふみの年齢・身長・学歴(出身高校・大学)等プロフィール及び経歴

名前:檀ふみ(だんふみ)

本名:檀ふみ(だんふみ)

生年月日:1954年6月5日現在の年齢:64歳

出身地:東京都練馬区

身長:170cm

血液型:A型

星座:ふたご座

学歴

出身中学校:東京学芸大学附属大泉中学校(東京都練馬区)

出身高校:東京教育大学附属高校(現・筑波大学附属高校)

出身大学:慶應義塾大学経済学部

所属事務所:檀ふみ事務所

(1)檀ふみは名女優!!父親は偉大な作家だった

檀ふみさんの父親は直木賞作家として知られる檀一雄(だんかずお)さんで、檀ふみさんは檀一雄さんの長女として生まれています。

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檀ふみさんの芸能界デビューは、1972年に公開された高倉健(たかくらけん)さん主演の映画『昭和残侠伝 破れ傘』での映画デビューでした。

当時高校生だった檀ふみさん自身は映画デビューするつもりはなかったようですが、父・檀一雄さんと映画プロデューサーの策略により東映京都撮影所へ連れていかれ、主演の高倉健さんに会ったことが、映画デビューするきっかけとなりました。

要するに、当時の檀ふみさんが高倉健さんに惹かれてしまったため、映画デビューすることになったのです。

意外なことに、父・檀一雄さんは娘・檀ふみさんの芸能界デビューには賛成だったようですね。

その後、檀ふみさんは数多くのテレビドラマや映画に出演しており、『青春の蹉跌』(1974年)、『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』(第18作、1976年)、『火宅の人』(1986年)などに出演したほか、『男はつらいよ ぼくの伯父さん』(第42作、1989年)ではマドンナ役を演じています。

檀ふみさんは1993年公開の映画『わが愛の譜 滝廉太郎物語』では、第17回日本アカデミー賞助演女優賞を受賞しています。

また、映画『火宅の人』の原作は、檀ふみさんの父・檀一雄さんの長編小説であり、父の原作に娘・檀ふみさんが出演した形です。

(2)檀ふみの才能は父親譲りだった!?

檀ふみさんの才能は女優としてだけでなく、長きに渡ってお茶の間の人気を博したNHKのクイズ番組『連想ゲーム』の解答者としても発揮されました。

檀ふみさんは、映画デビューした翌年から15年間にも渡って名解答者として活躍しました。

更に檀ふみさんの大活躍の場として忘れてはならないのがエッセイストとしての顔です。

最も有名なのが、エッセイスト・小説家・女優など多くの肩書きを持つ阿川佐和子(あがわさわこ)さんとの共著『ああ言えばこう食う』です。

『ああ言えばこう食う』は1998年に出版されましたが、第15回講談社エッセイ賞を受賞しています。

檀ふみさんは阿川佐和子さんの1歳年下の大親友で、この2人には「父親が作家である」「父親が東京帝国大学の先輩・後輩である」という共通点があります。

檀ふみさんの著作には、『ほろよいかげん』(1985年)、『ありがとうございません』(1998年)、『まだふみもみず』(2000年)、『どうもいたしません』(2004年)、『父の縁側、私の書斎』(2004年)などがあります。

こうしたエッセイストとしての才能は、偉大な作家だった父・檀一雄さんの才能を受け継いでいるのではないでしょうか

2.檀ふみの自宅は豪邸だった!?

檀ふみさんは、東京都練馬区の石神井公園の近くにある実家に暮らしていたようです。

この自宅は、檀ふみさんの父・檀一雄さんが建てた家で、大作家にふさわしく豪邸だったそうです。

父・檀一雄さんは、高名な太宰治(だざいおさむ)、井伏鱒二(いぶせますじ)、中原中也(なかはらちゅうや)などとも交流があったと言いますから、本当に偉大な作家だったのです。

それほど偉大な作家である檀一雄さんであれば、その自宅が豪邸だったとしても納得してしまいます。

実は檀ふみさんは現在もなぜか独身なのですが、長年実家で暮らしていたそうです。

しかし、そんな住み慣れた自宅も区画整理に伴い、取り壊され立て直すことになりました。

自宅が取り壊された後も、近くのマンションで暮らすことになったという檀ふみさんですが、マンション暮らしは初体験だったそうです。

長年の実家暮らしだったお嬢様が、初めてマンションでひとり暮らしとなると不便なことが多そうな気がしますが、実際はどうだったのでしょうか?

3.まとめ

この記事では、檀ふみさんがどんな人なのかを、年齢・身長・学歴(出身高校・大学)等経歴をご紹介するとともに、檀ふみさんの自宅が豪邸って本当なのかについてご説明することによって、明らかにしてきました

檀ふみさんが名女優であることはよく知られていますが、檀ふみさんの父親が偉大な作家であることを知っている人は、意外と少ないかもしれません。

檀ふみさんはエッセイストとしても知られていますが、エッセイストとしての才能は遺伝によるものだったのですね。

そんな檀ふみさんが暮らしていた自宅は、父・檀一雄さんと暮らした豪邸でした。

その思い出の詰まった豪邸も区画整理により、取り壊されることになりました。

初めてのマンション暮らしを始めた檀ふみさんの暮らしぶりがどうだったのか、非常に気になるところです。

檀ふみさんの今後益々のご活躍を期待しています。

中村ゆりの実家の家族、両親(父親・母親)はどんな人?兄弟はいるの?

中村ゆり 実家 家族

中村ゆり 実家 家族

出典:https://thetv.jp/

中村ゆりさんといえば、現在放送中の読売テレビ・日本テレビ系連続ドラマ『増山超能力師事務所』に出演しており、コスプレ画像が美人すぎると話題になっています。

そんな中村ゆりさんは、1982年3月15日生まれの現在34歳で、大阪府寝屋川市出身、アルファエージェンシー所属の女優さんです。

中村ゆりさんの芸能界デビューは意外と早く、1998年にアイドルデュオ『YURIMARI(ユリマリ)』として、歌手デビューしています。

その後、女優に転身し、数多くの映画やドラマに出演、活躍していますが、中村ゆりさんのことを知らないという人も多いかもしれません。

そこでこの記事では、女優・中村ゆりさんの実家の家族である両親(父親・母親)はどんな人で兄弟はいるのかについて、ご紹介します。

中村ゆりさんの経歴について、詳しく知りたいという方は、こちらの記事にまとめていますので、読んでいただければと思います。

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現在話題となっているドラマ『増山超能力師事務所』における中村ゆりさんの美人すぎるコスプレ画像については、こちらの記事でご紹介していますので、興味のある方は読んでいただけるとうれしいです。

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中村ゆりさんには性同一性障害ではないかという疑惑があるようですが、その真相については、こちらの記事にまとめていますので、興味のある方は読んでいただければ幸いです。

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1.中村ゆりの実家の家族、両親(父親・母親)はどんな人で兄弟はいるのか?

中村ゆりさんは、在日韓国人3世の父親と韓国生まれの母親の間に生まれ、韓国籍を有しています

中村ゆりさんの実家は、現在も出身地である大阪府寝屋川市にあると思われます。

中村ゆりさんの家族については、中村ゆりさんの公式ブログ(2019年12月現在、閉鎖)の中に言及している記事があります。

ここでは、その記事を元に中村ゆりさんの家族をご紹介します。

中村ゆりさんが家族について触れているのは、今から8年あまり前の2008年12月9日の「おめでとう兄。」というタイトルの記事です。

この記事の冒頭で、中村ゆりさんはお兄さんの中学時代の写真をアップするとともに、この日がお兄さんの誕生日であることを報告しています。

この写真を見るかぎり、中村ゆりさんのお兄さんはけっこうイケメンです。

この記事からわかることは、中村ゆりさんには4歳年上のお兄さんがいて、そのお兄さんは2008年12月9日をもって31歳になったということです。

したがって、中村ゆりさんのお兄さんは2016年12月9日に39歳になっていることから、2017年2月10日現在39歳ということになります。

昔、中村ゆりさんがお兄さんとけんかしている時に、母親から

「ママが死んだら兄弟二人しかおらんねんから、助け合って仲良くしなさいっ。」

出典:中村ゆりオフィシャルブログ(アメーバブログ)

とよく言われていたという記述があることから、中村ゆりさんにはお兄さん以外に兄弟はいないことがわかります。

つまり、中村ゆりさんは2人兄妹ということです。

さらに中村ゆりさんの母親が父親と離婚したか、死別したのかはわかりませんが、中村ゆりさんは母子家庭で育ったということがわかります。

この記事を読むかぎり、兄妹仲は良く、次のようなエピソードを語っています。

門限やぶったりすると兄にも怒られたし、兄が高校生の時初めてアルバイトでお給料もらった時は私に五千円くれたりしたなぁ。

出典:中村ゆりオフィシャルブログ(アメーバブログ)

このエピソードからは、中村ゆりさんにとって4歳年上のお兄さんは、兄としてだけでなく、父親のような役割も果たしていたのではないかと考えられます。

2.まとめ

いかがでしたでしょうか。

この記事では、女優・中村ゆりさんの実家の家族である両親(父親・母親)はどんな人で兄弟はいるのかについて、ご紹介しました。

中村ゆりさんが在日韓国人3世の父親を持ち、韓国籍を有しているという事実は意外だったのではないでしょうか。

中村ゆりさんが美人なのは、韓国人の血が流れているからかもしれません。

しかし、中村ゆりさんの家族は、母親と兄の3人家族で母子家庭だったようです。

それだけに、中村ゆりさんの家族は固い絆で結ばれており、中村ゆりさんも家族は「かけがえのない宝物」と語っています。

中村ゆりさんの今後益々のご活躍を期待しています。