石原詢子(いしはらじゅんこ)さんをご存知でしょうか。
石原詢子さんは2回のNHK紅白歌合戦出場を誇る実力派演歌歌手であるとともに、美人演歌歌手としても知られています。
そんな石原詢子さんは、昨年(2018年)デビュー30周年を迎え、中野サンプラザホールで「石原詢子30周年記念リサイタル」を行いました。
そこで、この記事では石原詢子さんはどんな人なのかを、年齢、身長・体重、本名等プロフィール及び経歴をご紹介することによって、明らかにします。
<関連記事>
石原詢子の学歴(出身中学校・高校等)は?結婚歴はある?夫や子供は?
石原詢子の実家の家族は?両親(父親・母親)はどんな人?兄弟姉妹はいるの?
目次
1.石原詢子の年齢、身長・体重、本名等プロフィール
出典:https://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/
名前:石原詢子(いしはらじゅんこ)
(「詢子」の「詢」という字には「まこと」という意味があります)
本名:石原悦子(いしはらえつこ)
生年月日:1968年1月12日(年齢:51歳(2019年5月現在))
出身地:岐阜県揖斐(いび)郡池田町
身長:161cm
体重:40kg台半ば(推定)
血液型:A型
星座:やぎ座
趣味:絵画
特技:詩吟(しぎん)(詩吟揖水流(いすいりゅう)師範代兼「詩舞(しぶ)」「剣舞(けんぶ)」の師範代)
得意料理:コロッケ
好きな本:歴史関係(歴史小説、戦国時代など)、推理小説
好きな食べ物:ラーメン
好きな言葉:初心
レーベル:ソニー・ミュージックダイレクト
所属事務所:石原音楽事務所
2.石原詢子の生い立ちとは?詩吟家元の父親を説得し上京!!
石原詢子さんは、詩吟揖水流(いすいりゅう)家元の長女として生まれています。
そのため、4歳頃から父親から詩吟を習い始めましたが、その指導はとても厳しいものでした。
わずか12歳で師範代となった石原詢子さんでしたが、成長するにつれて、これまでどおり父親の言うとおりに詩吟をやっていくことに疑問を抱くようになります。
そのような思いを抱えるようになった石原詢子さんは、父親の元から離れるために家を出たいと考えるようになりました。
そんな石原詢子さんが憧れたのが、「津軽海峡・冬景色」等で知られる石川さゆりさんでした。
石川さゆりさんの影響を受け、「歌手になりたい」と思うようになった石原詢子さんがやらなければならなかったのが、必ず反対するであろう父親を説得することでした。
そこで、石原詢子さんは高校卒業後上京するための準備を始めると同時に、父親への説得を始めたのです。
その甲斐あってようやく父親を説得することに成功した石原詢子さんでしたが、厳しい条件が課せられました。
その条件とは、
- 自活すること
- 新聞配達すること
- 毎日実家に電話すること
の3点でした。
この条件で2年間がんばってみて、ダメだったら実家に帰るよう父親に言われた石原詢子さんでしたが、上京して歌手を目指せることが嬉しくしょうがなかったようです。
3.石原詢子は上京後、下積みを経てついに歌手デビュー!!
歌手を目指し上京した石原詢子さんは、超多忙な生活を送っていたものの、充実していました。
新聞配達だけでなく別のアルバイトもこなしながら、ボイストレーニングやダンス、演技などのレッスンを受け、歌手という夢を追い続けました。
努力が実ったのか、思わぬ形で石原詢子さんに歌手デビューのチャンスが訪れます。
石原詢子さんがレッスンを受けていたボイストレーナーが、レコード会社とマネジメント会社を紹介してくれたのです。
そして、石原詢子さんは1988年10月にデビュー曲「ホレました」でデビューします。
しかし、石原詢子さんの歌手デビューは、輝かしい未来への幕開けではなく、苦難の始まりだったのです。
歌手デビューしたものの、CDの売上が伸びなかった石原詢子さんは、全国のカラオケスナックやカラオケ喫茶を回り、歌を歌ってはCD等を売って歩くという地道な営業をする日々が続きました。
しかし、そんな石原詢子さんにもついにチャンスが訪れます。
4.石原詢子、両親の死を乗り越えNHK紅白歌合戦初出場!!
1994年9月にリリースされた、石原詢子さんの7枚目シングル「三日月情話」が、第27回日本作詩大賞・優秀作品賞を受賞したのを機に翌1995年8月に発売された8枚目シングル「夕霧海峡」が大ヒットを記録しました。
やっと石原詢子さんのこれまでの苦労が報われたと思われましたが、その矢先、石原詢子さんに思わぬ不幸が訪れます。
約2週間の間に、田舎の両親が相次いで亡くなってしまったのです。
ちょうど8枚目シングル「夕霧海峡」がリリースされた1995年8月2日前後のことでした。
しかし、両親が亡くなったからといって、立ち止まるわけにはいかなかった石原詢子さんは、その悲しみを忘れるために仕事に没頭します。
8枚目シングル「夕霧海峡」の大ヒットにより、徐々に知名度が上がり始めた石原詢子さんは、NHK『どんとこい民謡』(司会)やNHKのバラエティ番組『コメディーお江戸でござる』などテレビにも出演するようになりました。
1999年4月にリリースされた石原詢子さんの12枚目シングル「みれん酒」がロングヒットを記録し、第32回日本有線大賞・有線音楽賞を受賞すると、石原詢子さんは翌2000年の第51回NHK紅白歌合戦に念願の初出場を果たします。
石原詢子さんは17枚目シングル「ふたり傘」で、2003年の第54回NHK紅白歌合戦に2回目の出場を果たしましたが、それ以来出場していません。
2007年5月、石原詢子さんは岐阜県の「飛騨・美濃観光大使」第1号に就任しています。
5.まとめ
この記事では、石原詢子さんはどんな人なのかを、年齢、身長・体重、本名等プロフィール及び経歴をご紹介することによって、明らかにしてきました。
石原詢子さんは、詩吟揖水流(いすいりゅう)家元の長女として生まれましたが、歌手という自分の夢を追いかけるため、上京して、見事に歌手デビュー。
しかし、デビュー曲は思うように売れなかったため、再び下積み生活に逆戻り。
それでも、地道な営業活動を続けた石原詢子さんは、デビュー以来苦節6年目にして、8枚目シングル「夕霧海峡」が大ヒット。
その矢先、両親が相次いで亡くなるという不幸に襲われますが、その後も努力を続けた石原詢子さんは、2000年の第51回NHK紅白歌合戦に念願の初出場を果たしました。
2003年の第54回NHK紅白歌合戦に2回目の出場を果たした石原詢子さんですが、それ以来出場していません。
石原詢子さんのNHK紅白歌合戦への3回目の出場をお祈りするとともに、今後更なるご活躍を期待しています。